【モノクロ】
世界には色彩がない。
天気の良し悪しだけを映す空、代わり映えのない道。春とも夏ともつかない、晴れでありながら雨のようなじめじめとした空気。それらが蔓延したこの時期が、私はあまり好きではなかった。
身に纏わりつく熱気に顔をしかめながら、ここはアスファルトが荒いとか、逆に新しくて綺麗だとか、そんなことばかり考えていた気がする。
私にとって、世界とは自分の周りのごく狭いスペースだけであった。物語や、ニュースや、人の綴る光景は、どんなにリアルでも別世界のような、どこか遠い場所を映したもののように思えていた。
ただ存在していたものが意味を持ち始めたのはつい最近のことだ。
君が空を見ていたから、私も空を見上げるようになった。夏にかけて空は翠色を帯び、はっきりとした輪郭の雲がそのコントラストを強調する。広がりを持った空の前を、電線や信号、鮮やかな標識が通過していく。どんなに足を速めても、視界の左右を街が通りすぎていくばかりで、空はほとんど動かない。そうしてようやく、私は空の高さを知ったのだ。
変わらなかったはずの光景も、日々移ろぐようになった。名も知らないような植物の表情が違うこと。毎日すれ違う人々が皆違う人であること。柔らかで暖かだった空気が、澄んだ青になってきていること。同じものを見てきたはずなのに、こんなにも新しいことに気がつくなんて。自分の"世界"の窓が君によって開かれて、新鮮な空気が、世界が体中に巡る。
気づけば、じっとりとした湿気も悪いようには思えなくなっていた。汗ばんだ体の不快感も、通り抜ける風の心地よさも、夏の訪れを彩る描写の一つだ。
広がる空を眺めて、風に吹かれてざわめく木々や、人々の雑踏に意識を傾ける。そうすると、視界の中央に今まで気になりもしなかった鼻がぼやあと見えてきて、それに汗が浮かんでいるではないか。私はは右の人差し指でそれを拭った。
世界は、色で溢れている。
9/29/2025, 10:37:26 AM