卑怯な人

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「風が運ぶもの」

 冬も終わり、桜前線が自分の住む村にもやってきた。
自分の通う学校の近くにある通りでは、ソメイヨシノが一斉に咲き誇り、老若男女が桜を見ながら散歩していた。そして、桜は地面をも桜色に染めて、春の到来を声高に宣言しているかのようだった。
 季節の変わり目は急激に気温が変わるもので、季節の変わり目によく風邪を引く自分にとっては少し辛いものがある。しかし、春だけは風邪を引いてもいいと思える程に美しい桜が顔を覗かせる。毎年巡り巡って必ずやって来るものだが、飽きることの無い景色に私は心を躍らせて、校門を出た。
 今日は始業式というのもあり、午前中までに行事は終わり、時間を持て余していたのだ。何をしようか考えている時に腹の虫が鳴った。昼食はどこで済ませばいいかを考えなくては、と考えがすぐさま切り替わる。だが、飲食店を探すのであれば駅の方まで行かなくてはいけない。それは少し気が引ける。ふと、頭に浮かんだのは昔からよく通っていた駄菓子屋だった。最近、顔を出してなかったし行ってみようか、などと考えたが、駄菓子で腹ごしらえは少し嫌な感じがしてならない。だが、腹の虫は鳴き止まない。仕方がない、少々不本意ではあるが、顔を出しに行こう。そう決めて、歩き始めた。
 駄菓子屋に着き、戸を開けて一声かける。奥には昔から殆ど姿を変えない店主が座って新聞を読んでいた。
店主側もこちらに気づき「久しぶりだな」と心の底から懐かしむように言った。別に特段長く会っていない訳でもないのに、大袈裟に言う店主に私は少し吹き出してしまった。
 さて、店に入って来たからには何か買わねばと、陳列棚を見る。しかし、先程も述べたように、駄菓子で腹を満たすのは不本意である。そのため、甘露な菓子には手が伸びない。ブタメンだけが積み上がる。過去に、これだけ一度に食べたことはあっただろうか、だが致し方無し。諦めて会計に進む。店主が半笑いで会計をし、料金を払い、ポットを貸してもらうことにした。
 水を茹でて、出来上がりを待つ時間は暇である。だから久々に世間話をしようと、店主に話を振った。そこからは二人とも時間を忘れて話していた。主な会話の中身としては、店主は花粉症持ちで、春は地獄だの、風が嫌なものを運んでくるだの、ただの愚痴話だったり、自分の学校生活の近況報告だったりと、話に花が咲いた。
 気づけばブタメンはとっくに食べ終わり、特に深くもない雑談を話して、無邪気に笑っていた。そして、もう三時を過ぎて、空は少しオレンジ色を帯びてきている。そろそろ帰ろうと、雑談も終わりも見えてきた時、店主が自分にあることを言った。「春は色んな人の思いが交差する季節だ。賢く、後悔の無いようにな」と、妙にらしくない事を言って、雑談は終わった。
 店を出て戸を閉める。頭の中で、店主が言った言葉が反芻している。一体、どんな意味を込めて最後にあの言葉を残したのか。自分にはまるで分からなかった。ただ一つ、私が唯一分かることは、店主は孤独だと言う事。
どことなく吹く春風も、どこか寂しげな雰囲気を、醸し出していた。
 今思えば、あの駄菓子屋もだいぶ廃れてしまった。昔は子供たちの憩いの場だったが、その子どもたちも成長し、来る人は少なくなった。春の風はそんな人情をどこかへ運んでしまったのだろうか。春は答えない。
 春は様々なものが生まれ、また無くなっていく。私も、いつかはこの村を出ることになるだろう。そして、この心地よい故郷の春の風を感じることも無いだろう。

私も風に運ばれてしまうのだ。


                   了 

3/6/2025, 2:47:23 PM