かたいなか

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「昨日も昨日だったが、今日も今日で、書きたいものと読みたいものの乖離……」

『久しぶりに会った肉親の、己に金銭によって礼をする態度を見て、しんみりする。
「あぁ、自分たちは、いつの間にか、対価で確実に感謝が見えなければアリガトウも伝わらない距離まで、離れてしまっていたのだ」』

という物語を思いついたものの、書き手の己は書きたいが、読み手の己には胃もたれが過ぎる。
某所在住物書きはうんうんうなり、深い溜め息を吐いた。要するに理想と理想の両端が、その距離が離れ過ぎているのだ。
読みたいと書きたいの積集合が迷子とはこのこと。
「距離、きょり、……三角形の点PとQ……?」
とうとう頭が沸騰し始めた物書きは――

――――――

都内某所、某職場のとある終業時刻。
やー終わった。疲れたごはんごはん。
土曜日特有、かつ独特な、客を入れぬ事務作業だけの午前中限定業務。
正午きっかりで作業を終了し、背伸びに大口のあくびを添え、緩慢に己のポケットをまさぐった女性は、コードレスイヤホンを取り出し耳元に近づけて、
「……あるぇ?」
スピーカーが、己の意図せぬタイミングで、すなわち己の耳からまだ十数センチ離れた距離で、
すでに、シャカシャカ音漏れを発している事実に、数秒固まった。

コミックやアニメのコメディーシーンよろしく、目が点だ。途端フリーズの解除された彼女はイヤホンをデスクに放り投げ、瞬時に起立して椅子を後方に押しやり、
胸ポケット、
腰ポケット、
スラックス、
内ポケットの順に、バッ、バッ、バッ、ササッ。
キレのある動きと布擦れの音で、隣に座る同僚を瞬時かつ継続的にポカンせしめた。

「わたし、スマホ、どこやったっけ」
無論、自分の、プライベート用端末のこと。
緊急事態発生である。予想が正しければ、彼女のスマホは数時間、無駄にバッテリー残量を消費していたことになる。
充電今残り何パーセント?!

「最後に使ったのはいつだ」
良くない予感に血の気が引いている女性の顔を、その蒼白具合を、
彼女と長年共に仕事をしている先輩、藤森のジト目が観察している。
「何で使って、誰の目の前で、どこに置いた」

「それが分かってたら苦労しないって」
ブリーフケースをひっくり返し、アンティークブックデザインのシークレットボックスを開けても、目標物を発見できなかった後輩。
床に落とした可能性を閃きデスクの下に潜って、
「………いっッたぁ!」
出てくる際、盛大に後頭部をぶつけた。
「あー、もう、ツイてない」

憐れな隣席の個人的同僚を、一緒に探してやるため席を立った職業的同僚は、
向かい席の乾いた咳払いに呼ばれ、
すなわち藤森がチラチラ見ている視線、その向こうをつられて見遣って、
気付き、注視し、メガネをズラして二度見して、
小さく数度頷き、席に戻った。

何故隣部署の主任が己の席で彼女のスマホを振り、『わすれもの』の口パクをしているのだ。

後輩による懸命の捜索は続く。
来客用のソファーの隙間、たまに落書きしてバレる前に消すホワイトボード、先輩が慣習惰性で世話をしている観葉植物の植木鉢。
「土曜日だもん」
後輩は言う。
「遠い距離は移動してないから、確実に、近くに」

そうだね。「確実に、近くに」あるね。
「遠い距離」じゃないね。
ジト目の藤森と、ニヨニヨイタズラに笑う隣部署の主任とを交互に見ながら、
スマホ捜索継続中の隣人を見る同僚は、くちびるを真一文字に、きゅっ。
「おい、宇曽野」
藤森が隣部署の主任を、つまり己の親友を呼んだ。
「分かっているとは思うが……」
大丈夫大丈夫。安心しろ。
そもそもパスワードを知らん。
主任は万事心得ている様子で、ぷらぷら右手を振り、
こっそり、後輩の目につきやすい、違和感も不自然も無く近い距離のテーブルへ、
彼女のスマホを、パタリ置いた。

12/2/2023, 4:58:58 AM