蓼 つづみ

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人間は、結果ではなく過程を生きている存在だ。

たとえ未来を知ることができたとしても、
その途中で迷い、疑い、揺らぎながら選び続けることからは逃れられない。

それでも、もしそのような能力を手にしたなら、
危険から距離を取りたい。

壊されるはずだったものを、
壊される前に移動させたいと願う。

しかし、この思考実験を進めていくと、
ひとつの限界に突き当たる。

善意や、未来を知るという事実だけでは、
人は救えない。

なぜなら、介入には
「許される空気」と
「それを支える構造」が必要だからだ。

どれだけ強く助けたいと願っても、
突然「未来が見える」と語れば、狂人として退けられる。

相手が受け取れる状態でなければ、
どんな言葉も届かない。
社会的にも、正当性を欠いた介入は排除される。

つまり、問われているのは能力そのものではない。

未来を知る力よりも、
それを他者に届くかたちで扱う力のほうが、はるかに難しい。

では、どうすれば
「助けてよい」という空気を、
日常の中に作ることができるのか。

……あるいは、もっと俗っぽく言えば、
未来が見えるなら、いっそ競馬にでも使って、
金と権力を握ればいいのかもしれない。

そうすればようやく、
「介入する資格」が、後付けで与えられるのだから。

けれど、金や権力は「介入できる位置」を与えるけど、
それは「受け入れられる関係」を保証するわけじゃない。

どうしたら、壊されなくて済んだはずのものを助けられるのだろう。

悲しいことなんか無くなればいいのに。

題 もしも未来を見れるなら

4/19/2026, 12:12:01 PM