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凍える朝


 凍える朝は始まりの香りがする。乾燥と寒さによって冬の香りを感じるすき間がないときでも、不思議な予感がみなぎるのだ。
 大体、勘違いなんだけど。
 
 まだ大丈夫だろうと油断したせいで冷え切った指先に、息を吹きかけ袖口の中に引っ込めて、4つの指先を庇うように手を握りしめる。親指がちょっと可愛そうだ。
 そんなことを考えていると、目の前で自転車が止まった。

「あれ? きょうちゃん?」

「え? うん」

 メガネにヘルメットにマスクをしていることもあって、目の前の学生が誰かはまったく分からなかった。けれど、きょうちゃん、というのは私の呼び名の一つに違いなかった。

「よかったぁ、違ったらどうしようかと……。そっか、きょうちゃんは徒歩通学なんだね」

 誰かは目を細めてにこにこと話していたが、私が袖の中に手を引っ込めているせいで不思議な姿勢になっているのを見つけたのか、くすりと笑った。そして自転車から降りて、それを押しながらゆっくりと私のもとに近づいてくる。

「手袋、あげるよ。間違えて買っちゃったやつだから、大きいと思うんだけど。ハンドル握るのに邪魔だし、ぜひ引き取ってほしいな」

「え……」

 嘘だ。手袋はピッタリだ。分厚い生地でハンドルが握りにくそうではあるが、サイズが合ってないなんてことない。それに自転車のほうが手が寒いに決まってる。それでも彼女は私に手袋を握らせた。

「あ、ありがとう」

「押し付けてるんだから、いいよ、……ごめんね」

 その殆ど隠れて見えないけども寂しげな笑顔がやけに心の後ろ髪を引いた。彼女が誰なのか、私はちっとも分かってない。けれど、聞くこともできなかった。
 じゃあ、と言って去ろうとする彼女の上着の裾を掴んで、私は聞いた。

「ねぇ、なんで私だってわかったの?」

 すると彼女はぱっと丸くしていた目をきゅっと閉じて笑った。

「えぇ〜? 冬の日だったからかな?」

「なにそれ……」

「あはは、いやでもやっぱりね、それ、まだ着けてたから」
 
 いたずらっぽい笑顔で彼女が指さしたのは私の髪留めだ。そこで私は彼女が誰かということに気づく。

「思い出した? じゃ、またどこかで……!」

「え? え? え?」

 ポンと軽く頭に手を置かれて、急いで彼女を見上げたときにはすでに自転車を漕ぎ出していた。私は一度手袋へと視線を落として、そこに私が昔から好きなキャラクターのデザインがあるのを見つける。

「ねぇ! 間違えて買ったってどういうことなの!?」

「ないしょー! もしかしたら間違ってないかもしれないし!」

 ほんとに、ズルいよあっちゃんは。

 手袋がいるほど凍える朝、もう二度と会わないと思っていた彼女と私の物語が始まった。

11/1/2025, 2:23:42 PM