とある恋人たちの日常。

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 ぐにゃりとした脳内の印象が、少しずつ正常に戻っていく。その中で見上げると、ゆらゆらと小さな光が揺れ動いた。
 
 ここはどこだろう。
 水の中に見えるけれど息ができるのは、なんで?
 
 温かい何かが手に触れたような気がする。
 俺はそれが何か確認しようとしたけれど、身体が動かなかった。
 
 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。
 
 とても遠くに聞こえる無機質な電子音が、突然脳裏に響く。
 視界に広がる光景と、無機質な音というアンバランスな世界に首を傾げつつ、底を蹴った。
 光は少しずつ近づいて眩い光に包まれる。
 
 それと同時に、無機質な電子音が明確に耳に入ってきた。
 
 ゆっくりとまぶたを開く。
 見慣れたようで、見慣れていない天井が、そこにあった。
 
 ああ、俺、さっきまで意識がなかったんだ。
 てか、どうしたんだっけ……?
 
「目が覚めたね!」
 
 俺を覗き込むのは、職場の先輩だった。
 
「おれ……」
「無理に喋らなくていいぞ。こっちが説明するな」
 
 ぼんやりとした中で、上手く首を動かすことができない俺は、瞬きをひとつする。
 
「連絡が入って、救助に向かった時に、事故に巻き込まれたんだよ」
 
 そう言えば、そんなことがあったような気がする。
 
 ぼんやりしつつも、記憶を巡らせるが、靄がかかったように上手く働かない。
 
「無理しない方がいい。まずはゆっくり休むんだ」
 
 先輩の言葉を聞いて安心した俺は、もう一度意識を手放した。
 
 それから数日かけて、状況の把握と記憶を掘り起こす。
 先輩の言ったように、俺は救助に向かい、救助者をヘリに乗せた直後、事故に巻き込まれた。
 幸い、救助した人は救助ヘリに乗せた後だったので、その事故に巻き込まれたのは俺だけだった。
 
 中々派手に巻き込まれたため、意識不明の重体までいったらしい。
 
 意識が戻ってから、少しずつ元気になった俺は、恋人が心配しているのではないかと焦りを覚える。
 
 先輩に聞いてみると、それはそれは心配しているようだと言われてしまった。
 
 それからしばらくして、面会謝絶が取れると、やっと面会出来るようになった。
 その事を、先輩は俺より先に恋人に告げていてくれたらしい。
 
 その日の面会可能時間になった瞬間、彼女が俺の病室に飛び込んでくる。
 
 速攻抱き締められるかと思ったのに、彼女はそれを躊躇い、一歩後ろに引く。
 そして、大きな瞳からぽろぽろと涙を零した。
 
「良かった……無事で……」
「心配させて、ごめん」
 
 彼女は涙を拭いながら、首を横に振る。
 
 彼女に手を伸ばす。
 上手く動かせない俺の手をしっかり取って、俺の手に彼女が口を寄せた。
 
「無事で良かったです。本当に……」
 
 溢れる涙を拭わないで俺の手に顔を寄せるから、彼女の涙も手に零れる。
 
 とても温かい彼女の涙が、とめどなく溢れ落ちた。
 
「ごめん、こっち向いて」
 
 俺がそう告げると、そのままじっと俺を見つめてくれる。
 
 心配したんだよと、その瞳は確かに訴える。
 それでも、その奥に見える俺が無事なことに安心する色。
 
 早く治して、この病室から出なきゃ。
 
 
 
おわり
 
 
 
お題:病室
 
 
 

8/2/2024, 11:36:59 AM