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「見つめられると」

 重苦しい空気が肺に満ちた。
 痛々しげなその姿が、自分の眼球を通して脳へと伝わる。どこにあるのか分からない心がジワりと、とろけるように形を崩して行く。滴った歪みは、狂った世界から自分をにべもなく追い出して。

 目の前がまるで真っ暗になったように、気骨無い浮遊感に見舞われる。どこか恐ろしくて、どこか心地良かった。

 それが正しかった。そんなことは分かっているのになぁ、なんて。心ない言葉が頭をよぎっては消えてを繰り返す。ああ、そうだ。きっと、そうでしかない。
 けれど、それを認めたくなかった。ただ、それだけの話。そんな理想は、いつか塵になって消えて行くのだろう。

 その言葉すらも、泡のように浮かんで、消えていった。



 色の無い景色、諦観。
 視界の端に映る雲の流れが世界を巡るように、目まぐるしく大気を移動して行く。建物という空間に入ってしまえば見えなくなるそれは、どこか幼げで、感傷的だった。

 重怠げにゆらりと揺れる体をどうにか人並みに保って、彼らのもとへ赴く。そわそわと、期待と喜びしかないその空気感は、自分にはまるで似合わない。

 けれど、それが当たり前なのだ。彼らにとっては楽しみでしかない。自分のためのものだから。自分の人生を満たす、その構成要素でしかない。否、そんな風に思っているはずもないのだけれど。


 「博物館」。言うまでもなく、物を飾り、物を知る場所。そのためにあると言っても良いし、そのために作られた概念だ。人間的で、苦しいまでに自己顕示の執着心を反映させた施設。永久的な正しさを誇示するための機関。

 特段行きたいわけでもなく、むしろ行く気の湧かないものだった。自分には縁もゆかりもない世界。がしかし、同僚から手渡されたチケットと、「何もない」という予定を前にしては、その選択は意味を持たなかった。

 嫌でも視界に入るように設置されたのぼりがところ狭しと飾ってある。まるで滑稽だった。特別展示、なんて銘打って集客をする様は、いっそのこと清々しい。
 『今回のテーマは虫! 虫の奥深さを体感しよう!』と打ち込まれたそれは記号の配列でしかないのに、心のこもったように見えてしまうのはなぜだろうか。

 何のために、などと考えずに、諦めてそれを享受すれば良いはずなのに、自分にそれができないことが悔しいほどで。心のどこかにある諦観が、物哀しさを見出だしていた。


 ふと掛かったアナウンスに耳を寄せる。聴きやすいようにと抑揚の付けられた声は機械的で、普遍的だった。その声につられて周囲の人々が動き出す。
 特別、をそんなに強調しなくて良かろうに、なんてどうでも良いことか。けれどそれは、自分の心の中で深々と、音を立てずに積もっていく価値のあるものだった。


 どうぞ、と手渡されたチケットは、先程からずいぶんと色味を失って見えた。ちぎられた跡、箱に落ちていく切れ端。
 一つだった物体が何の因果か二つに分かれ、異なる道を体験し、いつか人間の都合で燃やされ、コロイドのように合一する。否、元々そういうものなのだろう。

 示された道を、未だ重たい体を転がすように進んだ。『ようこそ』だなんて、誰に向けて言っているのだか。自分のために言われたとて、なにもその実感はもたらしてくれなかった。

 薄暗く作られた照明は、微かに壁を照らし、展示を照らす。嫌、展示に注意を向けられるように、巧妙に加減を変えて。
 視線誘導と言えば聞こえは良いのかもしれないが、結局は、作り手の解釈を押し付け、自由だった彼らの感性を奪うための構造だ。


 ……何でこんなことしか考えられないんだろうな。
 頭を振る。いい加減止めるべきだった。そもそもここにはある種の気分転換できたというのに。

 そう思って、目の前に飾られた展示品を覗き込んだ。単純なる興味が半分、制作者の意図を読み取ってやろうという挑戦意欲が半分。


 カヒュ、という音が、自分の喉から漏れた。手が宙を彷徨い、顔がこわばり、息が止まる。分かっていた。

 分かっていた、はずなのに。


 痛々しかった。ひび割れるかのように乾いた羽が、限界までに物体を解明した彼らの、造り出した細さに貫かれる。張り付けられた世界は真っ白で、余計にそれを鮮明に映し出す。

 見えない面影は、自分達とは違うんだと主張する彼らのエゴにしか感じられなかった。
 死化粧とでも言うような、あまりにも外側から着飾られた姿は、なににも耐えがたいぐらいに正しいんだろう。
 ……そんな姿で、綺麗な様で、暮らしているわけなどないのに。

 脳が揺れる。ニューロンが焼き切れてしまったのではないかと思うほどの情報量が、視覚をそれだけに支配していく。
 熱かった。ぐわんと音を立てて絆された思考の輪郭は朧気になり、痛みのように、ジリジリと体温を焦がす。息ができなくなって、苦し紛れに酸素を飲み込んだ。


 なんで。どうして、こんなことができるんだ。その姿は、その様は、そんなに素晴らしいものなのか?
 喉元に手を当てて気がつく。苦しかった。受け入れがたかった。嫌悪感が胸を渦巻く。

 でも、それが事実でしかなくて。どこまで行ってもそれが正しい。「当たり前」といって彼らはそこを過ぎ去っていく。
 代わり映えのしない日常を観るように、或いはその不可思議を得るちょっとした期待を浮かべるように。

 そう。そうなのだ。それが、正しい。それが、歪んだ「人間らしさ」なんだろう? ものを知ること。ものを、理解すること。
 それができるのは、"自"と"他"の存在を感覚的でなく了承しているヒトにしかできないことだから。自我を持っている人間だけの、固有の感覚だから。

 それでも、どうしても受け入れられないのだ。その人間の理性が。知るためなら彼らの命を無下にしても良いというような、完璧なる人間中心主義。

 確かに、理性自体は本能から派生したものだろう。まるで、幼子がアリを踏み潰すことを喜びとして得るように、知識や規範がなくとも、それは存在する。存在してしまう。

 例え、「命の授業」なんてものを展開したとして、その本質が変わることはない。自分達の命は、人間の命は、奪われることを悪とするのに、その下に積まれ、踏み倒された存在には目を瞑る。それを、自然選択の末だ、長らえるための手段だ、と理屈を繋げて「善」とする。

 しかし、本来性が本能から来ているとして、それを良しとして良いものか。それを人間の根元であるとして、思考停止のまま、享受し続けるだけが、「正しい」のか。

 否、使い古された言葉ではあるが、何かの「正しさ」も「正義」もありはしない。その方向性というのが正義で、示されたものが「正しさ」なのだろうけれど。


 分からなかった。彼らが、存在を知っているものを、「知識」に留めて社会の規範に唯々諾々と従う意味が。憤りすら感ぜず、不変的で、未来永劫変わらぬこととしてしまう姿が。

 正しくない。否、それすらも分からない。解らないのだ。命の重さは皆平等。ならば、なぜこんなことができる? 人間が一番偉いから、枷が外れるのか、それとも解明するためなら犠牲を厭わないだけなのか。


 焦点の合わない視界が、ぼやけたまま、世界を映し出す。白く照らされたその姿が、脳裏に跡を付けた。
 目を背けたくて、できない苦しさ。遠くで耳鳴りのほどに彼らの声が聞こえる。足音、笑い声、驚愕、歓喜。その全てが嘲笑に換わっていく。


 不意に、脳内に像が結ばれた。ガラス越しに映る、おそらく数ヶ月前まで"我"を持っていた物体。それらと目があったような、気がした。
 その瞬間、まるで自分がメデューサに見入られてしまったように、思考も、身体も、全てが活動を停止した。それらが、圧倒的な強者としてそこに君臨して。
 無論、それにも目は存在するのだ。ただ、眼球に映った自分を伝える術がないだけ。脳と神経とが、もう機能していないだけ。

 どこか物憂げで色のないその光は、綺麗だった。もう意思は無いのだと分かっているのに、見つめられると、おののいてしまうその強さは、儚げで。

 ああ、そうなのだ。まるで正解だった。正しかった。
 解っている。それに見つめるという意思のないことなど。勝手に自分が見つめて、そう錯覚しているだけなのだと。
 これから先、変わることも許されないそれは、ずっと誰かに観られ続けられる。それが、「運命」なのだと。


 この世の真相など、それでしかないはずなのに。それが、正しいのだと思わなければいけない。彼らの善を理解せねば、生きていけない。
 そう、誰かの「正しさ」を、他の誰かの「正しさ」で、認めあい、理解し合う。それが今の社会の形成原理。「正しさ」の全て。

 結局、人間社会なんぞ、誰かの「認知」と「許し」の集大成でしかないのだから。そのどちらかにはねのけられたものや思想は、今日もどこかでくたばっている。まるで自分のように。
 踊らされた人形たちの喜劇は、きっとそのまま続いていくのだろう。


 目を瞑って、焼き付いた光が瞬いて、そしてまた目を開けた。くずおれたように機能しない下半身を、脳の神経が無理に動かすせいで、不格好に、ギグシャグと、かがんだ体が寄り起こされる。

 まだ、耳の裏で乾いた笑いは続いていた。ああ、そうなのだ。それが、当たり前。変わらない日常、変わらない、思想。そうやって、皆洗脳されたように生きている。


 視界の端に映った彼らが、疎ましくて、羨ましかった。こんなこと、考えなくったって。そのまま、過ごせてしまうその人生観は、一体なにでできているのだろうか。

 せせら笑った酸素が窒素に飲み込まれ、愛おしげに吸い込まれた。ハァ、とどうともとれないため息を吐く。
 知っている。もう戻ることなんてできやしない。変わらないことを知ってしまえば、その先は生き地獄であろうとなかろうと、その世界に怯えて生きていくだけだ。



 壁にかかった時計は、一寸の狂いもないというように、時を刻んでいる。「時間」なんて概念なぞ無いはずなのに、時計の音が嫌に時の流れを示唆してくる。一分一秒に捕らわれたような生活が、苦しいようで、そうでないようで。

 そんなことは知る由もないかのように、腕に嵌めたそれに突き動かされて動く大衆。付いていかねばならないという義務感がかしがましい。
 されど、それは事実でしかない。"正義"と名の付けられた世界で生きていくことしかできない。

 正しさを、変えることはできない。享受することしか、許されない。


 ピンポンパン、と外れかかった音が響く。さあ、もう終わりだ。名残惜しくもない、むしろ拒否されえたこの空間に別れを告げれば、それで。
 赦しを憶えてしまったその世界に身を隠すのは容易いのだから。



 なのに、なぜだろうか。長かったようで短い時間の感覚は、どこか諦念然としていて、優しさを帯びていた。
 
 きっと気のせいだ、と首をゆるゆると振った。何でもない。なんてこともない。

 そう、自分が、その世界に同化していくその過程を、心が望んでしまっただけ。


──ただ、それだけのことなのだ。

3/29/2026, 12:50:04 AM