怪々夢

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コーポ工房

 私の名前は怪々夢 濁身(ケケム ダクミ)コーポ工房の経営者だ。経営者と言ってもマンション経営で財を成した父親に、20歳の誕生日プレゼントで貰ったのだ。だからアパート経営のノウハウなど無い。諸々の事は管理会社に任せてしまっているから契約の時ですら住人とは顔を合わせない。ただ、入居者が増えると小遣いが増えて、入居者が減ると小遣いが減る。最近は小遣いは減る一方だ。そんな折、コーポ工房がある矢場から2駅行った先の大須にコーポエリーゼと言うアパートがあって、何でもすこぶる評判が良いらしい。と言う情報を聞いた。私は何としてもその評判の秘訣を知りたいと思った。
 大須駅で降りて不動産屋に入る。2DKで月68,000円以下の条件を出せばコーポエリーゼが候補に入ってくる事はリサーチ済みだ。案の定、2件目の物件はコーポエリーゼだった。私は適当に相槌を打って内見に行くことにした。
 1件目は築25年だがリフォームされて新築の様だった。
「やっぱり工房もリフォームした方がいいのかなぁ。」
そんな事を考えながらリフォームに関する事を中心に質問していった。そして、がらんどうの部屋に洗濯機だけが置いてあるので質問してみた。
「この洗濯機は何ですか?」
「ああ、これは備え付けの洗濯機です。洗濯機って寸法考えたり、買う時悩みますよね?こちらの物件は洗濯機が付いてきますので、そんな悩みは必要ないんですよぉ。」
不動産屋は得意げに語尾なんか伸ばして説明してきたが、私はジャブを2,3発貰った様な気分だった。時代はそこまで進んでいたか。

 2件目はお目当てのコーポエリーゼだ。見た感じ何の変哲もない。これではコーポ工房の方が良いくらいだ。そうなると人気の秘密がますます分からない。住んでみないと分からないと言うことなのか?
「ここいいですね。ここにしようかなぁ。」
本心では絶対ここがいいです。と思っているのだが、怪しまれない様にさり気なく言ったつもりだ。
「お客様、ここ気に入りましたか?小説とか書かれている感じですか?」
「えっ、書いてないですけど。」
「じゃな、イラストとか、絵画とかやられているとか?」
「ないですけど。」
「こまったなぁ、楽器とか嗜まれているとかないですかねぇ?」
「ないですけど、何か問題があるんですか?」
貸し手が貸すのを渋るってどう言うこと?俺の声は尖っていた。
「いやぁ、コーポエリーゼなんですがね、アーティスティックアパートと言いますか、トキワ荘見たいなもんですね。住人は必ず芸術活動をしているんですよ。」
「えっ?それが条件ですか?」
「条件と言いますか、暗黙の了解と言いますか。」
「俳優です。役者をやっています。」
「ほう、それは素晴らしい。」
嘘を付いてしまいました。学生の頃に演劇サークルに居ただけです。それも端役ばかりの。
「ぜひ何か見せて頂けませんか?」
その顔から信用していないのが手に取る様に分かる。不動産屋よ、正解だ。
「じゃあ、ちょっと、早口言葉を。」
舌で唇を湿らしてからメジャーな早口言葉を繰り出した。
「生ムニ、生モネ、生ナナポ」いかん、全部噛んでしまった。
「うーん、アドリブですか。もう一つ何か、例えば朗読なんかできませんか?」
朗読か、暗唱できる詩なんかあったかな?私は咄嗟に思いついた詩を朗読した。
「男には自分の世界がある。例えるなら、空をかける、一筋の流れ星。」
「おお、ルパン3世のテーマですか?いいですね。」
不動産屋は納得してくれた様だ。

コーポエリーゼを後にし、一応3件目の物件を見たのち、不動産屋に戻った。
「それでは8月1日からコーポエリーゼの105号室にご入居と言うことでよろしいですかね?」
不動産屋との諸々の手続きを済ませ。俺は帰宅した。コーポエリーゼに住んで、その人気の秘訣を探る。まるでスパイや探偵ではないか。演劇サークル仕込みの演技力が試されるな。私はまるでホームズやボンドの気持ちになって悦に入っていた。
 
 8月1日。午前中に引越し業者に荷物を運んでもらうと、近くのファミレスで食事を済ませ、午後にエリーゼに向かった。
「人気のコーポエリーゼ、その秘密を暴き、欠点を浮き彫りにし、その評判を地に落とさせてやる。俺の毒牙にかかったものは生きては帰れぬのだ。ハッハッハ。」
などと妄想していると後ろから声を掛けられた。
振り返ると銀髪のショートカットの女だった。肩にはオレンジのマスコットを乗せている。イタイ格好だ。
「新しく越してきた方?」
「はい、怪々夢といいます。よろしくお願いします。」
「何やってる人?」
「アパート経‥俳優です。」危うくアパート経営と言いそうになってた。
「アパート系俳優?」
「ああ、売れない役者のことをアパート系俳優と言って、売れてる役者のことをマンション系俳優って言うんですよ。役者間の隠語ですね。」
私は目が泳がない様にするのに必死だった。
「へぇ、知らなかった、さすが役者さんだ。じゃあ、今度1人芝居用の脚本書いてくるから、演じてくれない?」
「1人芝居ですか?」
「できないの?」
「できます。」
「さすが役者さんだ。」
その一言を聞くと納得したのか女は足早に去っていった。

コーポエリーゼ、恐ろしい所だ。どうしよう、初日にしてすでに逃げ出したい。

 
 

5/10/2024, 8:19:32 AM