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写真(テーマ ハッピーエンド)

 一枚の写真がある。

 写真屋で撮ったと思われる、家族の集合写真だ。
 祖父祖母、父母、姉と弟に挟まれたワタシ。
 ワタシも姉もまだ小学生で、弟に至っては乳飲み子だ。
 祖父祖母は和服、両親は洋装、ワタシ達姉弟は小学校の制服。
 乳飲み子の弟は和服風。
 笑顔の家族。


 幸せを予感させる写真だ。
 このときはきっと幸せであったのだろう。

 写真は時を切り取る。
 そのときの風景だけを切り取る。


 ハッピーエンドとは、写真と同じだ。



 こうして、王子様と結婚したお姫様は、末永く幸せに暮らしましたとさ。

 それは、果たしてハッピーエンドなのか。
 ハッピーな瞬間ではあったろう。

 しかし、そのままお姫様の人生は終わるわけではない。

 マナーと勉強でひたすら知識を詰め込む。
 相応しくない仕草は矯正される。

 嫉妬や陰謀はいくらでもあろう。

 毒殺を恐れて暖かい食事は食べられないかもしれない。



 結婚したお姫様は、王子がやがて王になったとき、妃として王とともに国を支える重責を担う。
 子宝に恵まれないと針のムシロ。

 反乱を起こされて処刑されるかもしれない。

 物語の幸せと、私たち自身の幸せとは、実は別のところにある。
私たちが物語のようなハッピーエンドを体験すると、実のところ、結構不幸なのではないか、あるいは試練なのではないかと思ってしまう。

 また、『切り取った瞬間』の後、という意味でも、ハッピーエンドは希少だ。

 子ども向けの三国志は、劉備3兄弟が曹操を退けて、やがて彼らは国を作った、で終わり。

 その後の彼らの悲惨な最期は語られない。


 幸せな終わりとは、一体何か。



 一つには、後を託してから逝けることだろうか。

 子どもに後を託して、不安はない。

 後顧の憂いなく過ごし、眠るように逝去する。

 今日は死ぬにはいい日だ。

 これはハッピーエンドかもしれない。


 とはいえ、物語を楽しむ子ども達は、そんなことは求めていないのだろう。

 だから、幸せなところを切り取った『写真エンド』が、ハッピーエンドとされるのだ。

 二人は幸せなキスをして終了。


 しかし、我々の本当の幸せは、別の所にあるのだろう。

 例えば、給料は安くとも、毎日定時に帰って家族と美味しいご飯を食べられる。とか。

 物語にはならないかもしれないけれど。

3/30/2024, 10:19:43 AM