しとしと降る雨とじっとりした湿気にうんざりしながら夕刻で混みあうバスから降りる。
通勤用とはいえ、気に入って買ったばかりのバッグが濡れないように胸元の方へと抱え込んで家路を急いだ。
「ただいま〜」
ガラガラと古い玄関口の引き戸を開けて家に入る。
ガラス戸をしっかり閉めた縁側を歩いていると、薄闇の中で真っ白な毛玉がうずくまっていたので声をかける。
「フォンちゃん、ただいま」
フォンちゃんは、今年六歳になるペルシャ猫だ。
どういう経緯かは知らないが、縁があってブリーダーさんから譲られてやって来た。
フォン、と名付けたのは母だ。
柔らかな長毛の見た目と穏やかで落ち着いた気質もあいまって、まさに上品という言葉が似合う『猫の王様』とも呼ばれる猫種だから、というのが命名の理由だそうだ。
……ペルシャ猫はイギリス出身らしいし、原種はアフガニスタンらしいけど……。
そんなことを思い出していたせいか。
フォンちゃんは名前を呼ばれても振り向きもせず、パタンパタンとモコモコの長い尻尾を床に叩きつけるように左右に振った。
「どしたの? ご機嫌斜め?」
雨だからかなー? 湿気鬱陶しいよねーと話しかけながら傍らに座ってみたが、やっぱり振り向いてくれない。
「あら、おかえり」
奥の部屋から母が出てきた。
「ねえ、フォンちゃん機嫌悪いんだけど」
「あぁ——シャンプーしたからね」
母が苦笑する。
「昼間ね、フォンちゃんずっとお庭を見ていたのよ」
母が指差す先は、ガラス戸の向こうの、小さな庭先。
青いあじさいが綺麗に咲いている。
「雨音を聞きながらあじさいを見ているなんて優雅で風流ねと思って、少しだけれど戸を開けてあげたの」
「へぇ?」
「そしたら——急に外に飛び出して、あじさいの葉を叩いてね。びっくしりちゃったわ。
フォンちゃんは、葉っぱにいたカタツムリを見ていたのね。もう、ガッカリ」
お嬢様お姫様でも狩猟本能はあるのねぇ、あんなに早く動けるなんて知らなかったわと母は嘆く。
「そうだったんだ。フォンちゃん、凄いねー!」
感嘆してそっと頬を撫でると、フォンちゃんはやっとこちらを見て、『当然でしょ』という表情をして見せた。
「凄いことないわよ。捕まえそこねてコケて、あんよも尻尾も体にまで泥つけちゃって。
洗うしか、ないじゃない。そしたらもう怒っちゃって、これよ」
「そっかそっか。大変だったね、フォンちゃん」
「大変だったのはお母さんよ!」
「そうだね、お疲れさま」
笑って、フォンちゃんを撫でながら労う。
——外は雨。
雫に打たれても鮮やかで爽やかな風情のあじさいに、不機嫌な洋猫と母。
何だか妙な和洋折衷さに可笑しみを感じて、鬱屈さはいつの間に消えていた。
6/14/2024, 5:45:21 AM