紅月 琥珀

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 ある日突然影の世界に迷い込んだ私は、あの日からずっとそこでの生活を余儀なくされていた。
 放課後には後輩(かれ)の声を追い掛けて、彼の呼び掛けにここだよって返事をする毎日。
 とりあえず、食事も授業も滞りなく出来ているのだけは有り難かった。
 いつも通りに過ごす一人ぼっちの世界で、相変わらず影達は犇(ひし)めき合いながら和気藹々としている。
 やる事のない私はそれをぼんやりと眺めて時間を潰し、授業を受けてを繰り返す。
 そうして本日の授業を終えて、また後輩(かれ)との問答が始まる。必死に捜してくれる後輩(かれ)とそれに答え続ける私。
 でも今日は、鏡の側に行っても後輩(かれ)の声は聞こえなかった。何処の鏡に行ってもそれは同じで、酷く胸が苦しくなる。
 遂に彼は諦めてしまったのだろうか、と。
 そうしたら私はどうなってしまうのかと、不安と恐怖が一気に押し寄せてその場にへたり込んで⋯⋯声を殺して泣いた。
 拭っても拭っても止まらない涙に、最終的には諦めてそのまま止まるまで流し続ける。
 そうして気付いたら疲れて眠っていたらしくて、起きた頃には真暗になっていた。

 正直、怖くないと言ったら嘘になるけど⋯⋯もう何もかもどうでも良くなってて、体も怠くてその場でもう一度寝直そうかと思い始めた時だった。
『先輩!』
 そう聞こえて、私が振り向こうとした瞬間―――衝撃と共に体を締め付けられる。
 自分が抱き締められてると理解するまでに、少し時間は掛かったけど⋯⋯ここで過ごして始めて感じた温もりに、夢じゃないとようやく分かって泣きそうになるも何とか堪えた。
 先輩、先輩って繰り返す後輩(かれ)の声に、まともに返事する事も出来ずにただギュッと抱きしめる。
 ようやく離れて、見えたその顔は泣きそうで⋯⋯でもどこか安堵するような表情をしていた。
『ずっと、捜してたんすよ。声だけ聞こえるのに、全然姿見えねぇし⋯⋯だから色々調べて一か八かで試して―――ほんとに、見つかって良かった。』
 そう言って私の目元を指で拭う。あれだけ泣いたのにまだ流したりなかったのか⋯⋯私の目にはまた涙が溜まっていたらしく、拭われると同時にポタリと1滴落ちた。
『私の声⋯⋯届いてたの?』
『俺には聞こえてましたけど、他の奴には分かんないっす。あと、俺こっちに来る方法は知ってても、戻る方法分かんないっす』
 すんません。
 そうバツの悪そうな顔で謝る彼。
『帰り方分かんないのに、一か八かで来ちゃったの? なんでそこまで』
 してくれるの? って言い終わる前に、その言葉は彼によって飲み込まれた。
 直ぐに離れた温もりに驚いていると、もう一度抱き締められて『そんなの、アンタの事好きだからに決まってるでしょ。いい加減気付いて下さい。』なんて言われて、もう我慢できなくてふふっと笑ってしまう。
『ごめんね、笑ってる場合じゃないって分かってるんだけど⋯⋯嬉しくて、止められそうにないや。』
 それだけ伝えて彼に抱きつきながら笑う私を、どんな顔で受け止めてたのかは分からない。
 でも、この影の世界で彼と2人きりで生きるのも悪くない。
 そう思ってしまったのだから、もう認めるしかないと彼に向き直る。
『私も君の事、好きみたい。だから⋯⋯帰る方法がわからないなら、この世界で私と一緒に生きてくれる?』
 そう言った私に一瞬驚いた顔してから、彼はふわりと嬉しそうに笑った。
『そんなの聞いたらもう離す気ないっすわ』
 そう言いながら立ち上がった彼は私に手を差し伸べながら、とりあえず帰りましょう、先輩。と言ったので、私も頷きながらその手を取り彼に立たせてもらうと昇降口を目指す。

 その道中で私がどっちのお家に帰るのかと聞いたら、真っ赤になりながら動揺した彼。
 可愛いと思ってつい笑ってしまったら、不貞腐れた彼に家来ても良いっすよって言われて、今まで凄く寂しい思いをしたのでお言葉に甘えることにした。

 そうして彼と手を繋いで歩く帰り道は、いつも通り影が犇(ひし)めくだけの景色なのに⋯⋯何故か凄く煌めいて見えた。


3/20/2025, 2:07:59 PM