【何気ないふり】
ちょっと席を立つ時にちらっとカップを見る。どうせ席を立つのだから、それくらい。用を足してから丁寧に手を洗い、お湯を沸かしにキッチンへ。ちょっといいコーヒーを淹れよう。挽いた豆を保存する容器を静かに開けて、フィルターにあけて。ポットは耐熱プラスチックで、少し曇ってきてしまっているけれど、自宅で使うなら問題ない。
ちら、と彼女の方を見る。真剣に文字を追っている。多分、決して美人というわけではないのだけれど、斜に構えないところが可愛いと思っている。なんでも面白かったものを共有してくれるし、悲しいことも辛いことも話してくれる。隠し事はあるだろうけれど、それはそれ。休日に家にいる時に、お互いリビングで本を睨んでいることができるなんて、最高だと思う。でもほんの少し……ちょっとだけ、気を引きたいとも思うのだ。そのためのコーヒー。少しお話ししませんか、と問いかけるように。
コーヒーがいい香りを漂わせる。近所のベーカリーで買ってきた、食パンの耳のラスクに、別皿で買い置きのホイップクリームを添えて持って行った。
「どうぞ」
かたん、とコーヒーカップを置いて、空になったマグを回収する。
「あ」
と彼女は顔を上げた。
「もうこんな時間?」
「そ、おやつにしませんか」
本をぱたん、と閉じる。プレゼントしたステンドグラス風の栞を使ってくれているのが嬉しい。空のマグをシンクに片して戻ると、彼女はまだコーヒーにもラスクにも手をつけていなかった。
「先に食べてていいのに」
「待ってたかったの」
うふふ、と笑いながらラスクにクリームをとって口に運ぶ。このパン屋のラスクは砂糖が控えめで、ほとんどカリカリに焼いた食パンの耳、といった感じだ。だがそれも、他に売っているチョコがけのものと併用する目的だと知っている。売り場にも「チョコレートがけのものと一緒に作っているため、お砂糖、甘さは控えめです」と正直に書いてあるのが良かった。
バターと生クリームのなめらかな甘味を楽しみながら、ブラックのコーヒーを飲む。
「ねえ、どこまで読んだ?」
「ああ、そっか、君これ読み終わってるのか」
傍に置いてあった文庫本を見る。
「そうだな……「どうしてそんなことをおっしゃるんです、私がまだ信じているのに」、かな」
「早い、三度目の挫折の章だね。本当に諦めちゃうのかハラハラした」
「君本当記憶力いいよなぁ」
ちら、と相手の方の本も見る。
「そっちは?」
ネタバレは気にしていない。基本的に、自分は自分が読むのと他の人の主観が入るものとでは違った受け取り方があると考えている。なので、彼女が「話していい?」という時は大抵オーケーしていた。時々は「すぐ読むから待って!」ということもあったが。
「ちょっと難しくなってきた、多分いわゆる中世ヨーロッパ風ファンタジーなんだけれど、硬貨の種類がたくさんあるの。行商取引で換金するだけで利益が出る仕組みの理解が追いついてないところ」
「あーそれ興味ある、後で一緒に考えたいかも」
コーヒーを啜る。砂糖もミルクもないそれは、苦味でちょっと眠たくなってきた思考をキリリと冴えさせる。
不意に、雷が鳴った。今日は一日そこそこ強く雨が降り続けていて、洗濯物を諦めて部屋干ししている。二人で窓の方を見てしまう。
「……夕飯、外食しない?」
「いいね、今日は一日家だったし」
「それもそうだし、読書の波が来てるから料理とか洗い物とかサボりたくて」
へへ、と、はにかんでいる。色々あって、早朝数時間の仕事をしている彼女と、いわゆる九時六時のサラリーマン勤務の自分とで、家事の分担は彼女の方がやや多めだ。掃除、ゴミ出しは率先して自分がやる中で、料理と洗濯は彼女のことが多い。正直にいうと、料理が一番手間だと思っているので、それを引き受けてくれることには頭が上がらないのだ。だから、休日には窓拭きや風呂掃除、シンクみがき、その他色々日頃から周期を決めて掃除をし、常に家の中をきれいに保っている。
彼女が、ゴミを捨てやすいようにしっかり分別してくれていることも、風呂の汚れが溜まりすぎないように時々カビとりのスプレーをしてくれているのも知っている。
「どこに行こうか、この前は中華だったけど」
「言っておいて迷ってるんだよね、ラーメンもいいし、ファミレスでもいい、イタリアンも捨てがたし」
「捨てがたしって」
笑いながら何が食べたいかを話し合える。また雷が鳴っているが、夕飯の頃には落ち着くだろうか。スマートフォンで定休日やメニューを確認しながら、顔を寄せ合った。
3/31/2026, 1:49:00 AM