落下(君に幸多かれ)
落ちていく。落ちていく。
今この瞬間も物凄い速度で急降下している。
周りに飛び交う悲鳴と怒号が凄まじい。
―――阿鼻叫喚。さながら地獄絵図。
「………にはまだ、早いか」
周りの喧騒とは対照的に、俺はひとり静かに呟いた。
立ち上がり右往左往する人混みの中、至って冷静にペンを走らせる。
冷静、というより俺は感覚がとっくに麻痺していた。
―――もう助からない。
………嫌という程肌で感じ取ってしまっていた。
こんな上空何千メートルの位置にあって、小さな窓からは炎しか見えない。
万が一の望みを賭けて、助かろうとする人々のいじらしさに虚しさを覚えながら―――俺はさらにペンを走らせる。もう殴り書きに近い。
“ごめん。ごめんな。
こんなところで死ぬなんて。
君を置いていく俺を責めてくれ”
左側で耳を劈く爆発音。
衝撃で書く手が揺れる。
………ただでさえ震えが止まらず上手く書けないってのに、勘弁してほしい。
“お願いがある。
俺の棺に君から貰ったラブレターを入れてほしい。
俺の自室の戸棚の、3番目の引き出しの奥に入っている。
遺体は燃え尽きてないかもしれないが、葬儀の際にどうか入れてほしい”
今度は反対側の後方から鈍い破裂音。
ああ。ああ。
まだ書きたい、書き足りない、
どうか、どうか神様、
―――急激な急降下に目眩がしたが、俺は必死で紙とペンを握り締める。
離すものか。
離すものか。
ごめん、
どうか君に 幸、あ れ
「奥さま」
―――訃報の一報が届いてから、記憶が曖昧だった。
現地に飛び、彼の最期の場所に足を踏み入れるまで長い時間を擁した。
「………もう、破片しかないのね」
飛行機の残骸は見るに堪えないもので、生存者はひとりもいなかった。
燃料全てを炎に変え、遺体はおろか所持品でさえ発見は困難を極めた。
『お土産は君の大好きなカリソンにするよ。
もちろん覚えてるさ、通称幸せのお菓子』
幸せの………
―――涙が溢れそうになるが、彼女は唇を噛み締めて空を仰ぐ。
………泣いたらあの人が心配する。
これ以上あの人を苦しめてどうするの。
「………奥さま。そろそろお戻りに」
「―――ええ」
促され、彼女がそっと背を向け歩き出したその時。
一陣の風が吹き抜けた。
「!………」
強風に思わず手で顔を遮る、―――その掌の内に。
? なに、紙……?
“幸 あれ”
それを手にしたまま、彼女が振り返る。
―――砂塵が舞い、わたしの周りを名残惜しむように風が通り抜けた後。
彼がすぐ傍で笑ったような気がした。
END.
6/19/2024, 3:06:13 AM