老人介護の仕事に就いてから、偶に人の死を見る。
最近目にした方の話をしようと思う。1年ほどの入所であったが、何度病気になって入院しようと、最後にはカラッと笑いながら帰ってくるような、茶目っ気のあるお婆ちゃんだった。
初夏。
少しずつ気力が無くなっていくその人を見て、これが死か、と悟っていくのだ。水も何も飲まなくなって、気力と一緒に体重も落ちる。日に日に軽くなっていく人と一緒に、家族も、職員も、気持ちの整理をつけるのだ。
死亡確認のときは、鼓動を確認する。健常者よりも遅く、時間を止めるように脈打つ鼓動は、トク、トクと動いている。時間とともにゆっくり、ゆっくり静かになって、終いには動きを止めてしまう。
死に対面したとき、人という独立した一生命から、フッと背景になってしまったような、そういった変化を感じた。正に魂が抜ける、というような。安らかな顔をしたその人は、存在を周りと同化させていく。静まりかえった部屋の中に、そこにいるのが当たり前だというように。そこにいないとダメだ、というように。
鼓動は生命を司る。
鼓動は自分を、自分たらしめる根源のラインである。
9/8/2024, 3:27:26 PM