郡司

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巡り会えたら

生きていれば、いろいろな物事や人に出会う。
喜ばしいことも、そうでないことも。これは仕方ないことなのだろう。

苦労や奮闘を要する物事が、自分自身にとって「めぐりあわせ」だと気づくのは大抵、そこを必死で駆け抜けた後だったりする。

さて、自分自身の行方に「立ちのぼる希望の気配」を、世の皆さんは感じ取るのだろうか? ある程度の年月を過ごしたら後は死に方を思うばかりだろうか? 「巡り会いたい何か」があるなら、それにつながる糸口は自分自身の胸の内深くに必ず存在している。自分の外に探すのでは途方も無い気がする物事でも、自分自身の内に夢見るその光景のなかに入って、想像力の助けをフルに使って、「巡り会いたい」それを、自分のなかに吸い込み、しばしそれを生きることを想像する…ことを、楽しく繰り返すと……

使い古された陳腐な諦めの呪文に「現実を見ろ」というのがあるが、これこそは現実を見ない者の戯れ言だ。無視して良い。現実がどこから生まれるか知らない者に限って高らかにこの呪文で自分自身を諦めに導き、そして周りをも巻き込んで行こうとする。

導かれるめぐりあわせは確かにある。
同時に、誰も皆、自分自身を「望む巡りあわせ」へ導くことができるのだ。

10/4/2024, 7:59:02 AM