NoName

Open App

風が運ぶもの

前説
今日も今日とて昨日の続きから。
「question mark」は「疑問符」「❔️」
「exclamation mark」は「感嘆符」「❕️」
ですが❕️こんな説明いりますか❕️❔️ちなみに「感嘆符疑問符」は「ダブルダレ」記号が雨だれに似ているそうだからです。英語では今回そこは調べましたが英語では「❕️❔️」も「exclamation mark」「感嘆符」になるようです。流石、語彙力低目の英語です。(笑)
小学高学年程度の国語力なら理解出来るかと。
と、言うよりも、どっちもどっちの○○○イさんは論破よりも読書力を、論破以前の会話のキャッチボールになっていないし烏合の衆がただ同じこと繰り返し叫んでいる野次の飛ばし合いの様です(笑)

分からない人は置いて行かれますよ、国語力は大事です。理系を理解する為にも宇宙を歴史を理解する為にもSFを理解する為にも国語力は大事です。相変わらず極論は暴論でボンクラのどっちもどっちですが、偏差値も受験戦争も日本では1950年代頃には問題になり始めて1970年代の学園ドラマでは取り上げられ始め1980年代がピークの古いテーマです。偏差値も受験戦争も知らない経験ないという世代は、この1950年代には大人であった世代で、尚且つ子供も無さず社会人でも無かったのでしょうか?つまり戦中世代で2025年に80歳オーバーの世代で社会に出たことの無い独居老人となるのかしら?お元気そうでなによりです(笑)

ともあれ偏差値も受験戦争も古いテーマですよ。松田優作主演の「家族ゲーム」、そして「金八先生Part1」は金字塔的な作品として記憶に残ります。「金八先生Part1」では、家庭環境に恵まれない少女浅井雪乃とエリート一家のひとり息子宮川保の妊娠騒動を通して偏差値崇拝と受験戦争へのアンチテーゼが描かれていました。浅井雪乃の父は今でいう毒父(笑)雪乃の優秀な兄ばかりに期待し愛情を注ぎます母にも高圧的でそんな父を恐れた母は父や兄に怯え雪乃を守ることが出来ず雪乃は傷つき宮川保に縋ります。雪乃の妊娠が発覚し雪乃の身に危険を感じた金八先生は雪乃を引き取り浅井雪乃は金八先生の下宿先の家族に引き取られそこで健気に子を産む決心をします。雪乃の兄は学歴コンプレックスの父の期待を一身に背負って受験(東大だったはず)しますが失敗、生きる意味を見失った兄は自死の道を…。そんな兄と父の敗北を知らず雪乃はひとり分娩台へ、産みの苦しみに耐える十五歳の母浅井雪乃が堪えに堪え最後に叫んだのは、彼の名でも恩師の名でも母親がわりの下宿先のオバサンの名でもなく「お母さん」でした。「金八先生Part1」は偏差値崇拝も受験戦争もスルーするように、十五歳の愛に恵まれなかった少女が愛を知り逞しく母になる姿を描いた名作中の名作です。1979年のこのドラマには期待過多の親に押しつぶされる子の姿も描かれ、幸せ=高学歴高収入=偏差値崇拝学歴崇拝へのアンチテーゼを、愛とは幸せとは何かと問うことで語りかけています。浅井雪乃と宮川保を演じた、この時若干15歳の二人の俳優は46年後の今も現役の俳優です。金八先生はその後32年に渡りシリーズ化された学園ドラマの金字塔であることは、それを知らない世代が否定したとて、続くものには、その理由がきちんとあると示しています。今期の「御上センセー」も令和の「金八先生」となれると良いですね(笑)伝説はその時に分かるものではなく、結果として後に残っているものを指すのだと思います。

今日は前説長くなりますが、46年前の金八先生の浅井雪乃の父の姿でも続くPart2の管理教育の荒谷2中でも描かれますが、いずれにしても極端な思考は偏り歪みの第一歩ですということは描かれて尽くされています、何故なら過去の人間がそんなに馬鹿ならスマホもAIもこんなに発達しないから今の人間が考えることくらいは考えるのです同じ人間ですから。過去があるから今があるのは当たり前の普通の忘れてはならない事実です。最近SNSで推し活が過ぎて同じグループ、姉妹、兄弟、従姉弟の推し同士で罵り合う人を見ますが、そんなの応援されて推されている御本人迷惑ではないかしらねぇと呆れます。身内や仲間を下げられて叩かれてまでして、上げてもらって喜ぶ?それこそ性格悪いでしょ、その方(笑)極端は下品です。港のヨーコ・ヨーコさーん♪より下品です(笑)ヨーコさんは口は悪いが気立ては別嬪さんでした。ドラマのキャラばかりですが、物語にこそ世の中や人間って描かれます。そんな物語は残ります。

「中庸」こそ「燐徳のある行いです」「中庸」は儒教の教えらしいですが、儒教の国の方々はあの広場の方々同様に結構お下品に極端ですが、だからこそ、「中庸」とは大事だと教えられているのかも知れませんね。
日本人として、他国の故事に学びました。
長い前説終ります(笑)これは、感想ではなく「金八先生Part1」の「十五歳の母」のあらすじと、「極端思考と中庸」をまとめたものです。


今日の、お題なんでしたっけ?笑笑

「風がはこぶもの」

街を歩く時に風に耳をすませてね
風の中にきっと私の声がする
夜に眠る時も窓をたたく風の音
どうぞ聞いてほしい囁く声がする

「怖いわーつ!!」と楽譜を放り投げた彼のその楽譜を拾い、手渡しながら 「真面目にやりなさいよ!!」と口を尖らせた、春の日差しを含んだお日様の匂いと菜の花の匂いを合わせた様な匂いを立ち込めさせた風が開け放たれた教室の窓際カーテンを揺らしていた。謝恩会で歌う合唱曲は、その前の春の合唱コンクールの課題曲、3年2組は優勝した。その後受験勉強年が明け2月が過ぎてこの日がやって来た。

風に耳をすませて私の声がするから
今日も私は通り過ぎる風に想いを託すの
私の想いなにも気づかないのあの人は
だからせめて風よこの想いを伝えて


風がはこぶもの 作詞 山上路夫


十五歳には、「愛」なんて恥ずかしくて重くって愛を抜かして想いに替えて歌っていたな。
「風が運ぶもの」と言えばこの曲よ。

もう少しすると、田植えの準備が始まる。

田水張る水面を渡りそよぐ風

まだ、愛には至らぬ恋だった。
十五の春に、風が運ぶもの。

てか、ダッサ!いい歳してたらダサイ。子供ならまあいい(笑)十五歳の中学生男子みたいな、それに屁理屈被せたような、誰でも知ってるような風についての理屈ーつ笑笑 もしかして理系❔️ 
真実かなんか知んないけど真実はひとつじゃないから笑笑 それが詩心。


令和7年3月6日 

                心幸 

今夜も後書き

見つけたよぉ〜。
面白過ぎます。

風車って、かざぐるまですよね、かざぐるまで遊ぶ、いつの話ですか?タイム・スリップ?それこそ風の強い夜には木枠の窓がガタガタ鳴りそうな、そんな音を風が運んで来そうですが、いつ頃の話だろう? 

あの歌思い出しました。
子守り唄。
ねんねんころりよ♪っての…(笑)
歌ってみたけど、かざぐるまは出て来ず、でんでん太鼓と笙の笛が出て来た。けれどそれくらいの時代だよねぇ、かざぐるで遊ぶって(笑)大正デモクラシー?の上級国民?笑笑 

ねんねんころりの子守唄は江戸時代中期の唄で、かざぐるまが子供の玩具として人気だったのも江戸時代中期だそうです。
勉強になりました(笑)

朝食前にちょっと手直し。
今日も1日頑張ろう(笑)

変わらないものが有るからこそ、自分が分かり変わって行くことが出来る。変わらない過去の価値が分からないものは変化と向き合えない。


3/6/2025, 12:09:12 PM