薄墨

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瓶の中から、ショッキングピンクの丸い風船ガムを一つ取って、口の中に放り込む。
奥歯でがりりと噛み砕けば、色相応のケミカルな味が、口の中いっぱいに広がる。
いつまでも変わらない、ケバケバしくて懐かしい、安定の味だ。落ち着く。ホッとする。

俺はもう一度、カラフルな瓶の中に手を突っ込み、オレンジ鮮やかな風船ガムを取り上げる。

「…ん」
隣に項垂れたままの、青白く細いアイツの手に差し出す。

「え…あ、ああ、ありがとう…」
アイツは戸惑いながら、一応受け取った。

「それ、風船ガム。味がしなくなるまで噛むんだ。…間違っても、呑むんじゃねーぞ」
「…食べ物なんですよね?それ」
アイツは怪訝そうな顔で、ガムを噛み始める。

「…ん、なんかこってり甘い?化学的といいますか、変な味ですね。……何からできてるんだ、これ」
神妙な顔でじっくりとガムを味わうアイツに、俺は笑う

「それ、消化すると毒だぜ。呑んだら終わり」
「ええっ!?」
アイツは慌てて口に手を突っ込もうとする。
「ははっ、冗談だよ。呑んでも別に何も起こんねえよ。糞に混じって出てくる」
「…な、なんだ。脅かさないでくださいよ。ま、まあそんなことだろうと思いましたけど!!…」

しばらくガムを噛み締める。

「なあ」
「…」
「正当防衛だからな。気にすんなよ」
「…き、気にしてませんよ、あんな奴…」
震える声でアイツが答える。

「…そうかよ」

口の中で、ガムがいい塩梅に柔らかくなった。
俺は、ガムを口の中で捏ね回し、舌にガムを巻きつける。
「気にしてないんです、本当に。これで良かったんです。だって、これで、僕は解放されたんです。もう期待に応えなくていいし、打たれることも、食事なしで閉じ込められることも、虫を食わされることもないし、うん。これで良かったんです。これで…」
アイツは喋り続けている。

初めてガムを噛むのに、随分と口が器用なやつだ。
俺はアイツの方に向き直る。
アイツは俯いて、ぶつぶつと呟いている。

「なあ」
アイツが顔を上げる。
俺はガムに息を吹き込む。
ガムはぷくぅと膨らんで、うっすら桃色の風船になる。

「わあ…」
アイツが目を見張る。俺はすかさず、もっと息を吹き込む、吹き込む……

パンッ
「わあっ!?」
破裂した風船ガムにアイツはたじろぐ。
そして…俺の顔を見て大笑いしだした。

…俺は、顔に張り付いたベタベタのガムを引っ張りながら「うえっー…調子乗りすぎちったよ」と顔を顰めて見せる。
アイツは笑いながら、水道へ俺を連れていき、ティッシュを使って、一緒にガムを取りだした。

「なあ」
「なんです?…あ、ガムだいぶ取れましたね」
「ああ、ありがと。…でな」
「はい」
「これ、やるよ」
俺は、風船ガムの入った瓶を差し出した。
丸い、カラフルな、自己主張が激しくてケバケバしくて…本当に色とりどりなガムが入った瓶。

「…いいんですか?」
「ああ」
アイツは微かに口角を上げた。

「…ありがとうございます。……では、さよなら」
「ああ、またな」
アイツは背を向けて歩き出す。

「ヨーゴシセツでも、上手くやれよー!」
俺はその背に声をかける。
アイツは、振り向かなかった。
ただ、右手にカラフルな瓶を掲げて、軽く振った。
から、ころ
カラフルなガムたちがぶつかり合う音が、聞こえた。

5/1/2024, 12:47:14 PM