『三日月』
私は三日月に限らず、欠けていく月が大好きです。これにはちゃんと理由があって、どうしても共有したい感覚なのです。テーマとは少し逸れてしまいますが、眠れない夜の思索の寄り道にでもしてください。
遠い昔の人たちは月を見て何を感じていたのでしょうか。私たちが今生きている世では、ほとんどの事柄に、既にもっともらしい理由がつけられています。答えが元々揃えられているのです。もちろんまだまだ未知の領域はあります。が、私のような平凡な人間が人生で出会う疑問には、先人が答えを出してくれています。そうなると、ふいに何のために生きていくのか、という疑問にぶつかるのです。
人は考えずにはいられない生き物です。とはいっても、いくら考えたところで結局は自然の流れに身を置く一部で、誰一人例外なく死ぬ時は死にます。
それなのに私たちは暇さえあればいくらでも考えてしまう。こうしてみると、やはり私は、人は考えるために生きているのだと感じるのです。
そして私は、なぜ月が満ちて欠けるのか、その原理を知らなかった大昔の人を少し羨ましく思います。
月はなぜ痩せたのか、何を失ったのか、また戻ってきてくれるのか。様々な感情を抱き、長い間考えたはずです。
私が感じるこの羨ましさは、世界がまだ問いで満ちていた状態への憧れなのだと思います。
今の私たちは、多くの答えを持っています。月の満ち欠けも、生も死も説明できる。だからこそ、何のために生きていくのかという問いが、以前よりも鋭く、逃げ場なく胸に残るのです。
人は考えるために生きている。
これは、古代の人と現代の人をつなぐ、一本の細い光です。
昔の人は、理由を知らなかったから考えた。
私たちは、理由を知ってしまったけれど、それでも考えずにはいられない。
考えても意味が尽きない。
説明されても、感じることは終わらない。
死ぬと分かっていても、生を問い続けてしまう。決して本能の奴隷だからではありません。これは自然の流れの中にいながら、そこに意味を見出そうとする力なのだと思います。
そうして想いを巡らせると、日に日に欠けていく月がとても愛おしく感じられます。
この感覚こそ、まさに昔の人と同じ場所に立っている証です。
原理を知っていても、なお不思議だと感じ、なお愛おしいと思える。
答えが揃っている世界で、それでも問いを手放さないこと。
それは平凡ではなく、とても人間的で、尊い営みです。
1/9/2026, 5:47:03 PM