紙ふうせん

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『月に願いを』

咲哉はいつも「月に行きたいな」と言っていた。
生まれつき病気があり、生まれてからの大半を病院で過ごしている。
咲哉の世界は、白い病室と窓から見える景色が生活のすべて。かわいそうな咲哉。

いとこの私は「なぜ月に行きたいの?」と聞く。咲哉は「だってみんなが見てくれるじゃない?僕が、死んでも」それだけ話すのも辛そうに言う。

私は咲哉の目を覗き込みながら「咲哉は死なないわ」と長い髪が咲哉の頬にかかるのも気にせず言う。

外に出られないので咲哉の肌は、陶器のように滑らかな白い肌をしている。いつもママが飲み物を飲むのに使っている、真っ白なきれいなカップが咲哉の肌に似ていて、聞いたら「これは陶器でできているの」と教えてくれたから。
髪は癖があるので、少し伸びると巻き毛になって、その色素の薄い、茶色い瞳によく似合っていた。
私は、まるで家にあるガラスのケースに入った良くできたお人形のように美しい咲哉を見るのが好きなので、こうしてよく会いに来る。

咲哉の滑らかな頬に手をそっとあてて優しく撫でながら「もし」と言うと、咲哉のきれいな色素の薄い瞳が私を見る。
「本当に咲哉が死んだら」その巻き毛に指を絡ませながら「毎日、毎晩、必ず月を見て咲哉に話しかけるわ」と言う。
すると咲哉はぐったりとして「それなら」そう言うだけで苦しそう。
「僕は死ぬのが、楽しみだよ」と言うと、疲れたのだろう目を閉じた。
なんて長いまつ毛、美しくてかわいそうな咲哉。
私はまだ子供だから、死ぬ、という事がよくわからなかった。
死んだら、と小首をかしげて、咲哉はこのベッドからいなくなるの?

疲れて、小さく寝息を立てている咲哉を見つめながら、いなくなるって、どういう事だろう、と考えた。
そして、咲哉の言う通り、月に行くのだろう、と思った。

眠りを邪魔しないよう、そっと病室のドアを開け、私は帰る。

翌朝、肩をそっと揺すられて目覚めるとママが悲しそうな顔をして「黒いワンピースに着替えて。咲哉が夕べひどい発作を起こして亡くなったの」と言った。見るとママも黒い服を着ていた。
私は黒いワンピースを着て長い髪を梳かしながら、咲哉はちゃんと月に行けたのかしら?と考えた。

ママに手を引かれどこかの広いお部屋に入った。
真っ白な入れ物に咲哉は入っていた。きれいな白いお花に埋もれて咲哉は眠っていた。

この入れ物でお花に埋もれて咲哉は月に行くのだろう、と思った。

白い病室、白いベッド、そしてまた白い入れ物に白いお花。咲哉によく似合うわと考えた。
私はその日から、毎日毎晩、月を見て咲哉に話しかけた。

今日、かわいい子猫を見たこと、きれいな青いお花が咲いていたこと。

その夜は月がまん丸でとても明るかった。「あら、今夜は満月ね」とママが言った。

私は庭に出て、その大きな明るい月をじっと見た。何かの形が月の中に見えた。きっと咲哉が踊っているんだわ、と思った。楽しそうに、軽々と。
良かった、咲哉は願ったとおりになったのだわ。
私は嬉しかった。でも、本当に月に行ってしまったのなら、もうあのきれいな陶器の様な咲哉の頬も色素の薄い瞳も、きれいな巻き毛にも見れないし触れないんだ、と思うとそれは悲しかった。

咲哉、いつの日か私が行くまで待っていてね。その代わり、毎日毎晩、話しかけるから。

「風が冷えてきたわ。お家にお入りなさい」とママが言った。「はあい」家に入るとき、そっと月にいる咲哉に手を振った。

5/27/2023, 12:11:19 AM