空が泣く
泣いているかのような感じがすることも、確かにある。空には、何かしらの「響」があると思う。
晴れている空からぱらぱら降る雨粒が「狐の嫁入り」と呼ばれているのを聞いたことがある。私の住む街では「涙雨だ」と言われていた、特定条件下の雨もある。そういえば、東京行進曲という歌の中にも「涙雨」なんてあったな。
私はめったに泣かない。
悲しいさなかに泣かない。大抵、それがほどける段になって涙が出る。涙をこぼして泣くと心折れそうな危機感があって、泣くのは後まわしにしがちかもしれない。
自分のなかに怒りがくすぶるとき、雷雨に遭うと「気の合う友」に会ったような感じがする。
怒りの下には悲しみがある。
悲しみの下には痛みがある。
痛みの根っこには願いがある。
生きてる心から花が咲くように自然な願いが生まれる。
踏み潰されれば痛い。
痛いと悲しくなる。
悲しいと泣く。
続いたり、繰り返し潰されれば、“泣いても(心を表現しても)届かない”と諦めて願いを閉ざす。
悲しみは居座り続ける。痛みが癒えるまでは。
そして怒りが、痛みと悲しみに蓋をする。生きる方便と言わんばかりに。
自分に感じる「無力感」の悲しみに、怒りで蓋をする。
怒りの顕れはさまざまだ。
わかりやすく暴れる人も居れば、黙って漬物石みたいに引きこもる人も居る。集団でやれば暴動や戦争が顕れ、皆「心の蓋の模様」に気を取られてしまって、自分も皆も心が血を流してる事実を思い遣らない。
そりゃお天道さまだって泣くさ。
いたましくて、かなしくて、泣くぜ。
9/17/2024, 5:01:58 AM