天津

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タイムマシーン

「あらあらこんな傷を作って、痕が残ったらどうするのよ」
「心配無用よお母さん。その時はタイムマシンに乗ればいいんだから」
22世紀初頭、科学の粋を結集し、人間の全身を原子レベルで過去の状態に巻き戻す装置が開発された。外見から内臓、それに記憶まで巻き戻してしまうさまから、小難しい装置名の代わりにタイムマシンと呼ばれていた。
「全くいい時代よね。私の指も元通りにできたら良かったのに」
「なんで失くしたんだっけ」
「工場のアルバイトでコンベアに巻き込まれたのよ。学生時代の話」
「タイムマシンは1年までだから無理ね」
様々な理由から、タイムマシンで1年以上遡ることは禁止されていた。タイムマシン側にも、それを防止する機構が組み込まれていた。
タイムマシンを使用すると、巻き戻した時点のスタンプが、暗号化されて全身に刻印される。たとえば12/31に364日分巻き戻せば、肉体の時間は1/1として記録される。しかし、12/31から遡行できるのは1年前の12/31までなので、もう一度タイムマシンを使用しても今度は1日しか戻せない。どうやっても1年以上前には戻れないのだ。

『お母さん、お母さん』
夕食の食器洗いの手を止め電話に出ると、せかせかとした娘の声が聞こえてきた。
「どうしたのよ、何かあったの」
娘は今日、彼氏とデートすると言っていたはずだ。
『彼が、彼が、死んでしまったのよ』
「え、あなた今どこにいるのよ」
『彼の家よ』
「救急車は呼んだ?すぐに呼びなさい」
『無理よ』
「落ち着きなさい。深呼吸して、そうしたら119にかけるの」
『私が殺したのよ』
息を呑んだ。しかしすぐに平静を取り戻した。
「わかったわ。そこで待ってなさい」

母親が家に着き、娘について部屋に入ると、滅多刺しにされて臭気を放つ男の死体が横たわっていた。
娘曰く、デートの待ち合わせ場所に彼は来ず、電話にも出ないので心配になって家に行くと、知らない帰ってくれと門前払いを食らったという。ショックで玄関先に泣き崩れたところ、迷惑そうにしつつ家に上げてくれた彼だったが、自分のことを忘れてしまったかのように他人行儀に話すので、堪えられなくて殺してしまったらしい。今日は娘の誕生日だった。
母親は娘をなだめ、てきぱきと男の死体をビニールシートで梱包する。
死んでいようがバラバラだろうが、肉体は過去と繋がっている。肉体に刻まれた過去の痕跡を遡れば、生前まで構築し直すのは造作もないはずだ。生死は人が決めた線引きであり、実態は原子の集合体でしかないのだから。
死体と娘を車に乗せ、家に戻る。
男の死体をタイムマシンのカプセルに寝かせ、遡行時間を設定する。7時間で十分だろう。実行ボタンを押し、いくつかの警告に同意すると、作動音が鳴り始める。電気自動車の走行音程度の静かな音だ。無事動いていることに安心して、母親は寝ることにした。娘はそばで見守るらしい。

母親が布団でスマホを見ていると、娘が血相を変えて寝室に入ってきた。タイムマシンがエラーを起こしたらしい。急いで駆けつけディスプレイに表示されたエラーコードを見て、母親はハッとした。
見覚えのあるコードだった。肉体を1年巻き戻して、更に1年巻き戻そうとしたときに見たものと同じコード。
壁に掛かった時計はちょうど12時を回っていた。母親はすべてを悟った。この男は昨日1年分遡ったのだ。そして、日付が変わって遡行期限が1日分更新されることで、当初戻ろうとしていた時点が1年と1日前として扱われることになってしまったわけだ。
どうすることもできず、点滅する表示灯をただ見つめた。泣きわめく娘の声が頭蓋骨に響いた。

2023/01/23

1/22/2023, 6:07:08 PM