今日は少々真面目で長い話になってしまう。
先日教育関係の講演会で意外な光景を見た。
講演は子どもの可能性に関する内容だったのだが、
その中で、ある話に聴衆が涙する場面があった。
その話というのは、
自分は不器用だと思いこんでいた女子大生が、
ひょんなことから小さなロケットを作り、
それを飛ばすことになった。
発射時手を震わせていたその学生は、
無事ロケットが空に上がったとき、嬉しさのあまり泣いてしまう。
振り返れば、不器用だと思い込むきっかけは、
小学校の図画工作の評価が低かったことだった、
と女性が語ったという話だ。
この話に多くの大人が涙していたのだ。
驚いた。
その涙を見て、
大人たち自身も、昔学校教育で自信を失い、
それを引きずって生きていたり、
不得意の烙印を押され苦しんだ経験があったりするのではないかと思った。
ふと、私は大学で、意中のアメリカ人の学生に
告白出来なかったことを思い出した。
英語に自信がなかった。
受験のために少なくとも2000時間は勉強しのに…。
と、これは自分の中での笑い話になっているが、
果たして今の学校教育は、子どもたちの可能性を磨く場になっているかどうか。
子どもたちが、自己実現のための大きな翼を手に入れる場になっているのかどうか。
泣いている隣の女性の、その背中には
飛べない翼がぐったりと垂れているように、
私には見えた。
ということで、少しでも将来の大人たちが自由に飛び回れるように、私もなにかしたいと思ったのでした。
11/12/2022, 3:23:13 AM