田中 うろこ

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『哀愁を誘う』

寒風が吹きすさぶ季節に食べるおでん、それも仕事終わりに食べるものは一味違う。なんて言ったって疲れた体に、暖かいつゆが染み渡る。屋台も少なくなってきたこの世の中で、この高架下で食べるおでんが一番好きだ。

冬。雪に、みかんにこたつ。いろいろ思い浮かべる人も居るだろうが、俺にとってはマスターのいる屋台とおでんが冬だった。これがやりたくて春夏秋と耐え忍ぶ。別にそれまでに屋台が開いてない訳じゃない。春に焼き鳥夏に漬け物、秋のラーメンも乙だ。だけど、高架下にたどり着いたあの日をいつになっても思い出すため、俺には冬が必要だった。

「てか、マスター今年おでん出すの早くない?」
「お前毎回それ言うよな。オレが寒くなったらおでんのつゆを炊いてんだわ、文句言うでないよ」

十月も終わりごろ、今年も寒くなってくる。しかしまあ、早いよ。もう十月終わってんだもん。

「ハロウィン過ぎてさ、もう霜月なんだし良くね? オレももうおでんで加湿したくて……」
「別にガラスープでも保湿できるでしょ」

ハロウィン終わったとか言わないでよ、マジで。おじさんもう季節が一瞬で過ぎちゃうんだから、こないだ冷やし中華食ったばっかだよ。

「でもオメー、ウチのおでん好きじゃん」
「……それを言われるとぐうの音も……」

そう言って、マスターが震える手でいつものを出してくれた。玉子、こんにゃく、牛すじとウィンナー。寒さに弱いのに、マスターは絶対に店を出さない。

「ウィンナーなんてどこで食べても同じなのに、良くウチに来よるねえ」
「……なんででしょうね、落ち着くんですよ」

マスターと会ってからもう、二十年近く経つ。すっかり金曜日の夜はここに来ることに慣れてしまった。しかし、俺ももうおじさんだし、マスターはもうヨボヨボだ。

「玉子、今日ちょっといいやつだよ」
「……ほんとだ、黄身が赤っぽい」

季節が過ぎるのがもっともっと早くなれば、マスターが居なくなったその時も、すぐ忘れられるんだろうか。寒風が吹きすさぶと、決まってマスターは出汁割りを俺と一緒に飲んでいた。きっと、新卒の俺にはそれが嬉しかったんだ。

思い出を捨てきらない日々に吹く風は、哀愁を誘って病まない。毎日屋台があった場所には、花弁が舞っている。

11/4/2024, 1:46:29 PM