茂久白果

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 秋恋
 *ブロマンスです


「位置について! よーい!」

 大きなピストルの音に、心臓が早鐘を打ち始める。それどころか、アナウンスされて指定の場所に来た時点から、ずっと自分だとは思えないくらいにそわそわとして、落ち着かなくて、緊張している。
「え、ナギまさか緊張してんの?」
 隣から顔を覗き込むリツ。
「ああ」
 思わず素直に頷いた。緊張どころか、ビビっている。おもいっきり。
「うそ、ナギに緊張してるとか言われたら、なんか俺も緊張してきたし! どうしよっ」
 そう言って胸を両手で押さえるリツ。その肩からはアンカーの印のタスキが掛かっている。

 真っ青に澄み渡った清々しい空の下での、体育祭。
 俺は去年みたいに、適当に綱引きと玉入れなんかに出てクラスのみんなを応援して楽しく過ごす予定だった。
 それがどうしたのか、突然陸上部のリツがクラス対抗リレーでどうしても陸上部のチームメイトがいる二組に勝たねばならないと、俺を無理やりリレーに選出した。
 俺が陸上部だったのは中学の時で、引退してから運動は体育でしかしていない。丸一年以上走ったことがない。それがリレーで百メートルを走るなんて、もう完走できる自信すらないくらいだった。
 それを、リツに言っても聞き入れなさそうだから、必死にクラスメイトの前で訴えた。だけど、元々面倒な競技に出たいものなんてほとんどいない。
「ナギは四百メートルの選手でめっちゃ速かったんだよ」
 なんて言葉をまるっと鵜呑みにして、体は覚えてるよきっと、なんて適当なことをそれぞれに言って結局、俺は選手に選ばれることになってしまった。
 ピストルの音も、トラックを必死で走ったのも。もうずっと前なのに。

 結構本気で嫌だなと思って、ため息を吐いた時、リツに肩をグッと掴まれた。
「俺、またナギとリレーしたかったんだ。ありがと」
 振り返ると、満面の笑みのリツ。
 そんな風に……言われたら。
「ああ、そう?」
 弾けてしまいそうなくらい膨らんだ心がバレないように、平静を装ってそう言った。
 その日の夜。ずっと使っていなかったランニングシューズを引っ張り出すと、家から近所を回って駅の方までジョギングして帰って来た。あれから二週間。気が向くとジョギングをしたから、きっといきなり走って体がびっくりするようなことはないだろう。

「大丈夫! ナギなら。俺、今日めっちゃ楽しみで、楽しみ過ぎて眠れなかったんだよ」
「いや、ちゃんと寝ろよ」
「うん、でも、ナギからバトンもらうの。久しぶりだろ?」
 肩をすくめて微笑む。
 ああ。あの瞬間を、リツも覚えていたんだって。胸が熱くなる。
 部活の中で、競技の中で、俺が一番愛していた瞬間を。

「よし! 大丈夫、なんとかなる!」
「えっ、びびった」
 突然大声を出した俺に、リツが体をビクつかせて、それからケラケラと笑い出した。


 バトンを受け取って、必死に走った。思っていたよりもずっと体は軽い。嘘みたいに足が動く。他のクラスの走者が何処にいるのかは気にならなかった。ただリツの元へバトンを届ける。
 視界にリツが入って来る、俺の名前を呼んで、大きく手を振っている。
「いけっ」
 バトンゾーンが近付いて笑顔のリツと目が合う。スピードを落とさずにリツに声を掛けた。リツがスタートを切る。スピードをキープしたまま、リツを追いかける。ゾーン終わりのラインの前に、後ろに差し出されたリツの手のひらにバトンを押し付けた。
「いけ! リツ!」
 ぐいっと引っ張るように力強く受け取られるバトン。
 ほっとした瞬間、足の力が抜けて俺はその場にへたへたと座り込んだ。
 視線の先に、風を切って走っていくリツの姿が見える。
 リツのフォームはクセがなくてお手本みたいに、綺麗だ。それだけじゃない、太陽の光を浴びて駆け抜けるリツは、眩しくてすごく綺麗だ。

 クラス対抗リレーは、見事に一位だった。バスケ部やバレー部で繋いだバトンは俺が受け取った時点で二位で、律がひとり追い抜いたからだ。

「ちょっと、あれなに、反則だよ。リレー選手ふたりとか」
「だから言ったじゃん、絶対に勝つって」
「いやそうだけどさ、え、藤田君、陸上部入んない? マジで」
 リツが陸上部のメンバーと話している。何をどう話していたのか知らないけれど、リツはご機嫌だ。
「いや、もう走らない。今ももう足つりそう、」
 それは本当で、ガクガクと震える足を引きずってその場を離れた。絶対明日筋肉痛になるだろう。だけど、心は達成感で晴れ晴れとしている。

 その後しばらく、ことあるごとに陸上部の人が勧誘に来たり、あんな熱くなるタイプだったなんて、ってクラスで言われたりして、なんだか居心地の悪い日々を過ごすことになった。
 だけど、目を閉じると瞼の裏に焼きついている。バトンを待つリツの笑顔。

 あの瞬間をもう一度共有できただけで、走った甲斐はあったなって、思うんだ。

9/22/2024, 9:26:03 AM