汀月透子

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〈コーヒーが冷めないうちに〉

 学食の隅のテーブルで、俺はコーヒーカップを見つめていた。淹れたてでまだ口に含むには熱すぎる。
 隣では、同じゼミの井上と高橋が昨夜のコンパの話で盛り上がっている。

「なあ、あの子、絶対俺に気があったって!
 LINE交換したし、今度映画でも誘ってみるわ」

 井上の声が響く。

「おい中村、今度一緒に来いよ。
 就活前なんだし、リフレッシュも必要だって」

 高橋が振り返り、笑顔を向ける。慌ててコーヒーをすすったら、熱すぎて舌がひりっとした。

「……今度な」

 言葉だけ合わせたが、気は重い。
 俺は昔から、ああいう場がどうにも苦手だ。盛り上がり方も、話す内容も、よくわからない。

「そういえばさ、おまえ就活どうするんだよ?もう十二月だぞ。
 俺ら、業界研究始めてるけど」

 井上の言葉に、気づくとカップの中で小さな渦ができていた。スプーンを無意識に回していたらしい。

「まだ……考え中かな」

 それが正直な気持ちだった。
 みんなは未来に向かって走り出しているけど、俺はまだスタートラインに立てていない気がする。

 バイト先の店長の声がふと蘇った。

「中村君は真面目だし、お客さんからの信頼もあるよ。
 自分のいいところを、もっと信じてみたら?」

 その言葉が、少しだけ背中を押す。

 カップを傾けると、最後の一滴はもうぬるかった。
 でも、その苦味の奥に不思議と優しい甘さを感じた。

 気づけば、口が勝手に動いていた。
「なあ、今度キャリアセンターに一緒に行かないか?」

 自分でも驚くくらい、声ははっきりしていた。
 コンパじゃ盛り上がれなくても、就活なら肩を並べられるかもしれない。

「おっ、それいいな!俺たちも相談したいことあるし」
 井上と高橋が笑顔で答える。

 学食を出るとき、振り返ると俺が座っていた席には、別の学生が新しいコーヒーを手にしていた。
 湯気が立ち上り、明るい昼の光に溶けていく。


 最後の一口の苦味を反芻しながら、先に行く友の背を追う。
 あれこれ躊躇せず思い立ったら踏み出さないと。そのカップのコーヒーが冷めないうちに。

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※一部表現を修正しました。

9/26/2025, 10:16:12 AM