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浮気の証拠は、呆れるほど簡単に見つかった。
彼女がSNSにあげた写真。
顔こそ映ってないけど、彼女をバックハグしているのは、明らかにミチ君だった。
ジャケットの肩のラインとか、細長い指とか、全部ミチ君だった。
彼女のアカウントを遡る。ミチ君が出張で泊まりだって言っていた日は二人で温泉旅行に行っていたようだった。
#デート #love #二人旅行 #理想の関係 #ずっと一緒 #お互い大事 #本当の恋
これでもかとつけられたハッシュタグ。キラキラした幸せそうなカップル。
多分、ミチ君は隠す気なんてなかったんだと思う。

「これ見たんだけど、ミチ君だよね」
スマホの画面を突きつけたら、ミチ君はあっさり認め素直に謝った。
「あ……ごめんね……言おうと思ってた。申し訳ない」
下を向いてミチ君は言った。
申し訳ないって。
なんだか浮気されたことよりも、その言葉の方がキツかった。
申し訳ない……申し訳ない?
なんか、会社でのやり取りみたい。
報告書まだ出ていないんですが。あ、申し訳ない。今日のうちに送っときます、みたいな。そんな感じの、申し訳ない、だった。
一言で言えば、他人行儀。
やっぱり気持ちが離れていたんだと、はっきりと分かってしまった。
怒る気持ちよりも、泣きたい気持ちよりも、早く終わらせてしまいたいと強く思った。修羅場なんてめんどくさいことにはしたくないし。
だから聞いた。
「……別れる?」
ミチ君は心底ほっとした感じで答えた。
「あ……うん。そうして欲しい。全面的に俺が悪い。ごめん」
別に結婚してたわけじゃないし。
同棲もしてたわけじゃないし。
なんとなく、別れるかもって思ってたし。

私とミチ君は、学生時代からの付き合いだ。
社会人になってもなんとなく続いてた。
私たちは、お互いよく似ていた。
二人とも大勢で騒ぐより静かな場所が好き。
居酒屋よりもカフェとか。映画館でポップコーンを分け合って、帰りにカフェで感想を話す。基本的に、お互いの時間を尊重する。
居心地が良かった。
喧嘩なんて一つもしたことがない。ミチ君の穏やかな佇まい、感情を露わにしない静かな話し方に、私は、安心していた。
昔から男の人が苦手な私にしてみれば、ミチ君は救い、みたいなところはあった。
だけど、ミチ君はもっと気持ちのこもったやり取りを求めていたのかな。
彼女のSNS。彼女の弾けるような笑顔と、強く握り合った二人の手。
たくさんのハッシュタグ。
理想の関係、ずっと一緒、お互い大事、本当の恋。
写真も言葉も浮かれてる。恥ずかしげもなく、キラキラして眩しい。
ミチ君は、ちゃんと恋をしたんだ。
一晩中見つめあって、身体をくっつけて好きという感情で胸が熱くなるような、恋。
お互い大事、なんて言える関係を築き上げたんだ。
私とミチ君は、どうだった?
お互い干渉し過ぎず、ちょうどいい距離だったけど、ずっと衝突を避けてきたようなところはあった。
それって本当は、ちゃんと向き合ってなかったってことだ。どこか上滑りしてるというか……別れる時だって、そうだった。
彼女との恋が、#本当の恋 なら、私との関係は 
#空っぽな恋 だったのかも。
空虚な関係。本物じゃない恋。申し訳ない、で終わる恋。

ミチ君がいなくなって数週間。
心にぽっかり穴が空いたわけでもなく、泣くこともなく、髪型もファッションも変えるわけでもなく、私は何も変わらなかった。
変わらない日常がある。失恋して人間的に成長したとか何もなく、ただ振られた事実だけがあった。
仕事から帰ってきて、ベランダに出て空を見上げた。
太陽は沈んだのに、まだ光を残した空に、陰影が濃くなった雲が広がっている。
星はまだ見えない。
どんな空でも、私には届かない。
私は、ミチ君のこと大切にしていなかったのかな。ミチ君もそうだったのかな。
多分、そうなんだろう。
だからあんな、ぞんざいな別れ方になった。
どうして、私の心はこんなにも波立たないんだろう。
つまらない人間だから、恋愛もままならないんだろうか。
浮気の証拠を突きつけた時、ミチ君がもっと動揺して感情的になっていたら、私も怒ったりしたのかな。
怒らない私を、ミチ君はどう思ったんだろう。
今更、そんなことを思ってみてもしょうがないことばかり浮かんだ。
恋がしたい。
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
恋をしてみたい。
誰かと思い合いたい。
大好きだよって心から言いたい。
浮気なんかしないでって言いたい。
お互い大事だって思える関係を築きたい。
私が誰かのそんな存在になれるだろうか、大事な存在に。
自分の気持ちをさらけ出そうと思っても、出来ない私には、やはり恋なんて無理なんだろうか。
恋がしたいと願って見上げた空は、じわりと滲んだ。
私は、その夜、ミチ君がいなくなってから初めて、止まらないほど涙を流した。

7/6/2025, 3:05:08 PM