ミミッキュ

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"君に会いたくて"

 早朝の散歩から帰ってきて、裏口の扉を閉め錠を下ろす。カチャ、と乾いた音が響くと「みゃ〜」とジャンパーの中のハナが鳴いた。
 そのまま居室へと向かい、ハナをジャンパーから出して水で満たされた皿の前に下ろす。
「ほら、水飲め」
 それから間もなく、ピチャピチャ、と音が聞こえた。
 一緒に早朝の散歩をするようになってから、帰宅してすぐ水を飲ませている。因みに水は、散歩に向かう前に水を水用の皿に入れて、ご飯と同じ場所に置いてからジャンパーを着てハナを中に入れて出ている。
 するとハナの身体がピクリと動いた。視線は正面玄関の方を向いている。
 その後すぐに、タタタ、と居室を出て廊下を曲がって行ってしまった。それは来客が来た時と似た反応だった。
──こんな朝早くに誰だ?
 遅れて正面玄関に向かう。廊下の突き当たりにハナが立ち止まって廊下を曲がって消えて、その数秒後に声がして、その声に「みゃあ」と鳴いて挨拶をした。
 少し距離がある上に閉ざされた扉の向こうからの声。普通の人なら《誰か》までは特定するのは難しい。けれど俺は《誰か》すぐに分かった。
 早足になるのを何とか抑えてたどり着き、正面玄関の錠を外して扉を開ける。
「どうした、朝っぱらに」
「朝早くに済まない」
 飛彩は申し訳なさそうな声色で謝ってきた。
「別にいい。……で、急な調べもんの依頼か?」
 いつもの調子で問う。
──まさかこんな朝早くに会えるなんて……っ。
 と声が聞こえた時から思っていたし今でも昂っているが、表に出さぬよう必死に取り繕う。
 ふと飛彩の足元を見ると、ハナが飛彩の足に擦り寄っている。飛彩は「やめろ」と困った声色でハナの頭を撫でている。だが頬を擦り付けるのを止める気配が全くない。そんなハナを黙って見つめる。
「……」
──ずるい。俺だって、そうしたいのに……。
 そうは思うが、早朝な上に飛彩の身なりは明らかに出勤前で、そもそも二人きりでもそんなに分かり易く甘えた事をした事も無いので、実際にはできるはずもなく。嫉妬心で黒い感情が渦巻いているのを、何とか抑え込む為に目を閉じる。
──まさか猫相手に嫉妬する日が来るとは。結構嫉妬深いのかもしれない。
 自分を落ち着かせる為、バレないように静かに大きく息を吐く。
「いや、そうではなく……。ただ予定より早く支度が済んでしまって。貴方に会ってから出勤しようと……」
 そう言い切って再び足元のハナに「やめてくれ」とハナの頭を撫でる。
──……ん?今、なん……。
 一瞬少しパニックになる。落ち着いて先程の言葉を反芻する。
 すると、みるみるうちに自身の耳が熱くなっていった。こういう時程『髪に覆われてて良かった』と思う事は無い。
「そうか」
 恥ずかしさで震えそうになるのを必死に抑えて短く答える。
 正直、さっきから開いた扉から入ってくる風に若干震えていた。だが今は、先程の言葉のせいで熱くなった耳を撫でる風が逆に有難い。
「では、そろそろ行く。……会えて良かった」
 柔らかな笑みを浮かべながら言う。
「お……」
 思わず素っ頓狂な声を漏らす。
──心臓に悪い……っ!
 そんな声を出した俺に、首を傾げながら不思議そうな顔で見てくる。恥ずかしさに見てられなくて、咄嗟に顔を逸らす。
「おう、そうか。……なら早く行ってこい」
 我ながら無愛想極まりない言葉を発する。素直じゃない自分に嫌気が差してくる。
「あぁ。行ってくる」
 そう言って身を翻して、歩いていく。その後ろ姿を見送りながら『あぁもう、俺の馬鹿』と心の中で自分への文句を言い放つ。
 曲がって物陰で見えなくなる前に立ち止まってこちらを振り向き、手を振ってきた。
──そういうの、俺なんかじゃなくて女にやれ……。
 そう思いながらも口には出さないのは、結構重症だ。そんな自分に呆れながら、控えめに片手を上げて振り返す。
 ふっ、と笑いかけて物陰に消えていった。
 扉を閉めて、ハナが中にいる事を確かめる錠を下ろして早足で居室に入り、ベッドに飛び込んで枕を抱いて顔を埋める。
──なんだあれ。なんだあれ……っ!
 思わず出た、呻きに似た声が枕でくぐもった声になる。
──あんな……ずるい……。何もかも……。
「……もう」
 まだ朝食前で、朝食の準備をしようと思っていたが、胸がいっぱいで何も食べる気が起きない。
「みゃあ」
「……」
 ハナの鳴き声で我に返る。
──ハナの朝ご飯の用意するだけでいいか……。
 枕を離しベッドから降りて、ふらふらと台所に向かった。

1/19/2024, 1:47:07 PM