陽が落ちて、辺りは暗く沈んでいく。
広間で小さな蝋燭の火を囲み、子供たちはくすくすと笑いながらその時を待った。
「まだ?」
「もう少し」
囁く声は、待ちきれないと弾んでいる。そわそわと、閉じられた戸が開くのを待っている。
不意に、板張りの廊下が軋む音がした。誰かがゆっくりと近づいている。
皆、息を潜めて戸を見つめた。近づく音に、誰かが唾を飲み込む。
音が止まる。戸越しに、淡い灯りが漏れている。
暫しの沈黙。誰一人、視線を逸らすことができない。
静かに戸が開かれていく。広がる灯りが蝋燭の明かりと溶け合い、ゆらりと揺らぐ。
「――お待たせしました」
提灯の灯りを手に入ってきた女性に、子供たちは歓声を上げて近寄った。
「遅いよ!」
「早く、早く!」
子供たちに手を引かれ、提灯を手に女性は広間の中心に向かう。
短くなってしまった蝋燭の傍らに座り、手にした提灯の中から光源の蝋燭を取り出した。
花や蝶など、美しい絵が描かれた和蝋燭。それを短くなった蝋燭の上に乗せれば、炎は大きく揺らいだ。
子供たちは蝋燭と女性を囲うように、再び座り直している。期待に目を煌めかせる彼らの姿を見渡して、女性は微笑み居住まいを正した。
「――さて、今宵はどなたから始めましょうか」
その言葉に、子供たちは我先にと手を上げる。
「僕がいい!」
「私がいいわ!」
「あ、ずるい!さっき、順番を決めたじゃん」
言い合いながらも、その表情は笑顔に溢れている。ふざけてじゃれ合い、やりとりを楽しんでいる。
敢えて言葉にしなくとも女性がすべてを理解して、選ぶべき子を選ぶと信じているのだろう。
「では、そちらのお方にしましょうか」
白い指先が、一人の少年へと向けられた。
無邪気に喜ぶ少年に周りも笑い、誰一人否を唱える者はなく静かに座る。
「えっとね。ぼくは鳥がいい!大空を自由に飛ぶ、大きな鳥がいいな」
少年の言葉が紡がれると同時、蝋燭の炎が揺らめき、広間は姿を変えた。
薄暗い畳の部屋は、雲一つない青空が広がる草原へ。
風が吹き、草が揺れ音を立てる。遠くで鳴く、甲高い鳥の声。
願った少年は静かに立ち上がり、空を見上げて眩しそうに目を細めた。
「これが……空。初めて見た。とっても綺麗で……飛べるかな……?」
鳥が鳴く。少年を呼ぶように、誘うように、軽やかな囀りが風に乗って響く。
その声に答えるように、少年は空に向けて手を広げた。
その手は指の先から色を、形を変えていく。白の羽毛に覆われて、風を受けて羽根が靡いた。
「飛べるかな」
繰り返し不安を口にしながら、白い鳥となった少年は大きく翼を広げる。風を纏い、ゆっくりと羽ばたいた。
遠く、空の向こうに鳥の影が見えた。近づくことのない影は、少年がここまで飛ぶのを待っているのだろう。
一声甲高く鳴き、鳥となった少年は柔らかな風を起こして空へ舞い上がる。瞬く間にその姿は遠くで待つ鳥の元へと飛び去って、辺りはまた薄暗くなっていく。
少年の姿が見えなくなれば、そこはまた蝋燭の明かりが照らす広間へと形を戻していた。
「――ちゃんと、飛べたな」
「飛べたね……本当に良かった」
子供たちが優しく笑う。少年がいた場所を見ながら、誰もが自分のことのように喜んでいた。
「――次は、どなたに致しましょう」
穏やかに、女性が問いかける。顔を見合わせた子供たちは、互いに頷き笑い合う。
「次はわたし!」
元気よく手を上げ、少女が立ち上がる。
「わたしはね、公園が良いの。桜がとっても綺麗でね……ママとパパと行った、最後の思い出の場所なのよ。だからもう一度、ゆっくり歩いて見たいの」
少女の言葉に、蝋燭の炎が揺らぐ。
そして広間は再び姿を変え、少女の最後の願いを映し出した。
「最後は貴女ですね」
一人の少女と女性を残し、広間には誰もいなくなった。
蝋燭は大分短くなり、炎は静かに揺らめきながら最後の願いを待っている。
「私はいらないわ」
だが少女は微笑み首を振る。女性に深く礼をして、静かに立ち上がった。
「本当によろしいのですか」
問う女性に、少女は小さく頷く。微笑むその目は、しかし悲しい色を湛えていた。
「願いはないの。見たい景色はないし、過去の優しい思い出も、今はとても苦しくなるだけだもの。偽物も嘘も、もうたくさん」
悲哀を滲ませる少女の言葉に、女性は何も言わずに蝋燭の明かりを消した。
刹那、広間は暗闇に沈む。女性が立ち上がる音が聞こえ、小さな音と共に淡い光が部屋を照らした。
「それならば、私と行きましょうか」
提灯を手に、女性は少女へと手を差し伸べる。少女は目を瞬き差し出された手を見つめ、迷うように視線を彷徨わせた。
戸惑う手を胸に抱き動けないでいる少女に歩み寄り、女性は優しく告げる。
「お嫌でなければ、私と共に参りましょう。大した話はできませんが、道中の退屈しのぎにはなりますから」
「でも……」
「向かう先は同じなのです……無理にとは申しません。どうぞご随意に」
少女の揺れる目が女性を見つめ、恐る恐る手が伸びた。女性の差し出す手と重ね、そっと握れば、女性もまた柔らかく握り返す。
ただそれだけの行為に、少女は俯き震える吐息を溢した。
「ありがとう」
「どう致しまして。では参りましょうか」
女性に促され、静かに歩き出す。手は繋いだまま、行くべき場所へ二人、向かっていく。
「――本当は、もう一度だけ誰かと手を繋ぎたかったの。願いが叶ってしまったわ」
「それは大変よろしゅう御座いました。私の手で申し訳ありませんが、少しでも貴女を満たすことができて光栄です」
提灯の灯りが、夜の闇を淡く照らす。
穏やかに語る二人を見守るように、提灯の中の蝋燭は微かに音を立て炎を揺らしていた。
20251107 『灯火を囲んで』
11/9/2025, 8:55:09 AM