中宮雷火

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【理想的な遺書】

「我は数十年に渡りてこの世の行ひをこころばみき。
この世には憂きこともすはたが、そはさながら神様が我に与へたまひし試練と思ふことにせり。
憂きことも多き反面、思ふ人に囲まれげに楽しき世にもありき。
さるほどに、我はそろそろ次の世に行くべし。
これより生まるるならむわらはどもが健やかに暮らすべかるべく、我は彼らを見守ることにす。
あな、この天下はさても麗しきことか。

(私は数十年に渡ってこの世での修行を頑張った。
この世では辛いこともあったが、それは全て神様が私に与えてくださった試練と思うことにした。
辛いことも多い反面、愛する人に囲まれて実に楽しい人生でもあった。
さて、私はそろそろ次の世に行かなければならない。
これから生まれるであろう子供たちが健やかに暮らせるように、私は彼らを見守ることにする。
ああ、この世界は何と美しいことか。)」

こんな遺書を書きたかった。
囚人は天井を見つめ、そんな後悔を頭の中に浮かべていた。
囚人である為、遺書に書くことはただ一つだ。
懺悔。
自分が犯した罪を懺悔するのだ。
こんな遺書になるなんて思っていなかった。
もっと、人生への感謝とか次世代の子供たちへの想いとか、そういうものを書きたかった。

囚人は鉛筆を握りしめ、何時間も、何日も遺言を書き続けた。
やがて鉛筆は短くなり、先も丸くなってしまった。

そうして何日も経ったある日。
囚人は、牢獄の中でその生涯を終えた。
囚人が書いた遺書には、自分が犯した罪への懺悔と、理想的な遺書を書けなかった後悔が記されていた。

3/10/2025, 1:14:24 PM