#街の明かり
夜の街を暗闇が支配する時代は終わった。世界は広いと聞くので外国であれば、未だ夜が闇で覆われる国あるのかもしれないが、少なくともこの国では終わった。都会の不夜城はもちろんのこと、田舎の道でも街灯がついており、あるいは民家からはぼんやりと光が漏れ出ているから、街明かりのない場所というのは即ち人のいない場所となる。
(人間に近づけなくなってどれだけ経つだろう……)
僕のような弱小の幽霊にとっては、非常に生きづらい時代となった。弱小の幽霊は光にさらされると固まって、その場から動けなくなってしまう。しかも身体は光に透ける。姿が見えないから人間に気づいてもらえない。驚いてもらえないし、もちろん意思疎通もできない。幽霊同士での会話は、新しい話のネタもなく堂々巡りばかり。一言でまとめるなら「非常に退屈」ということである。
幽霊というのは、大抵死んだ者のうちこの世に何かしらの未練があったり、あの世というのが怖くて必死にこの世にしがみついたりした結果、生まれるものである。ごく稀に本人(本霊?)に関係ない理由でこの世に残ることもある(そういう宿命的に残った幽霊は強者や猛者で光にも強い)が、大抵は自ら望んでこの世に残っている。僕も自ら強く望んでこの世に残った。訳あって生きている時は叶わなかったことだが、僕は色んな人と話したかった。話せなくてもなんとかして意思疎通してみたかった。人間にとっては迷惑極まりないだろうが、驚いてもらえるだけでも嬉しかったのだ。
それなのに、数十年前から段々と街は明かりで埋め尽くされ、弱小幽霊たちは行動範囲がどんどん狭まり、今や墓場から動けない状況になっている。とはいえ、街明かりが灯るようになってからも、肝試しと称して遊びに来る子供たちや若者がいた頃は良かった。彼らを望み通り驚かせたり、泣き虫な子供に握れない手であっても差し伸べて元気付けたりした。そんな日が一年に一日でもあれば十分だった。肝試しの日のことを幽霊同士で話すのも十分楽しかったからだ。
しかし最近は肝試しに来る人間すらいなくなった。少々の光には負けない強者の幽霊が言うには、最近は動画とかいうものが人気で、幽霊が出ると有名な場所や人工的な「お化け屋敷」を巡って動画というものを撮る人間はいても、有名でもなんでもない普通の墓地に来る人間はいないのだと言う。また、光に照らされても形が保てる猛者の幽霊が言うには、今の子供たちはそういう動画を見て十分に満足してしまうらしい。だからなんの変哲もない墓地までわざわざ来る人間はいないのだ、と猛者幽霊も肩を落として言った。
(この世に残る意味は、あるのだろうか)
人間と関わってみたい一心で必死にこの世に残ったものの、今やその目的は達成できそうにない世の中になっている。街の明かりが明るすぎる。強者や猛者の幽霊たちなら光の中でも動くことができるから、幽霊で有名な屋敷にでも神社にでも出掛けて行ける。この世に残っても楽しみはあるかもしれない。だが、弱小幽霊はそもそも光の中で動くことができない。自由に動くには完全なる闇が必要だ。あの世が怖くてこの世にしがみついている幽霊はいざ知らず、何かしら目的があってこの世に留まっている弱小幽霊たちにとっては明らかに潮時である。
目的が達成できないなら、この世に残る理由はない。そして、あの世へと渡るタイミングは一年に一度しかない。
「逝くのか」
彼岸花を眺めていると、猛者の幽霊に声をかけられた。彼は他者の願いによってこの世に繋ぎ止められている、宿命の幽霊である。死んだ年齢は近くないのだが、幽霊になった時期は近いので、長年よくしてもらっていた。
「うーん……そろそろいいかなって思いまして」
「……また1人仲間が消えるのか」
そう言われると罪悪感に押しつぶされそうになる。彼は光の中でも動ける代わり、自分の意思ではこの世から離れることができない。ずっと、ずっと、この世に残って、幽霊になったのに出会いと別れを繰り返さなくてはならない。
「いや、悪い。いいんだ。お前は自由に動けないんだから、この先ここにいたところで同じ日々を繰り返すだけだ。人間との関わりを望んでいるなら退屈だろう。あの世で休むのが良い」
「そういっていただけると気が楽です。光の中でも動ける皆さんの話を聞くのも楽しくないわけじゃないんですが、やはり自分で関われないのがなんとも」
「そうだろうな。達者で」
「はい」
彼は光の照らす道の方へと歩いて行った。僕はそれを見送って、真っ赤な彼岸花に食らいついた。身体が焼けるように熱い。ゆっくり、ゆっくりと街の明かりは僕の視界からぼやけて消えていった。
7/8/2023, 4:12:38 PM