かたいなか

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「意外と、何書くか、迷っちまうお題よな」
某所在住物書きは己の部屋の本棚を見つめて、一冊取ってはチラ見し、戻しを繰り返していた。
「『誰の』好きな本か。好きな『何の』本か。好きな本『をどうするか』。なんなら好きな本『を書いたひと』のハナシも書けるし、好きな『電子書籍の』本『がサ終で読めなくなった』ってのもあり得る」
毎度毎度恒例、アイディアは出てくるけど書けねぇのよな。俺の場合。物書きは本を棚に戻し、今日も今日とてほぼお約束的に、ため息をつく。

――――――

職場の先輩の部屋は、ともかく家具が少ない。
テレビと冷蔵庫は小さめ。炊飯器無し。ソファー無しにクッション無し。
去年の4月1日の午前中に先輩自身が言った、「昔ひとりで夜逃げしたことがあり、前の住所からデカいトランクひとつで区を越えてきた」って話が、
まるで事実のように、今もやろうと思えば部屋の引き払いがすぐ実行可能なくらいに、
先輩の部屋は、生活感が少ない。

「毒味してみるか?」
「どくみ?何?」
「オートミールクッキー。チョコとあずきホイップ」

その中で唯一先輩の部屋を「先輩の部屋」にしてるのが、特に好きなものだけ並べて残りの多数はロッカールームに預けてるっていう、大きな本棚と、そこに並んでるたくさんの本だ。
漫画も小説も、エッセーも無い。美術系も観光系も無い。ただ難しそうな、すごく難しそうな本が、ジャンルごとに左上から右下に向けて並んでて、
その、先輩の好きな本だらけの難しい部屋の中に、
最近、2冊3冊程度だけど、低糖質スイーツの料理本が入ってきた。
今まで無かった小さいオーブンレンジと一緒に。

「深い意味は無い」
今日の東京は最高30℃。雪国の田舎出身だっていう先輩は、早々にテレワーク申請出して、自分のアパートで、丁度良い冷房具合に少し温かめのお茶を淹れて、テキパキ仕事してる。
「本を見つけて、分かりやすかったから気に入って、買ったから実際に作ってみた。それだけだ」
その先輩のテレワークに便乗して、先輩の涼しい部屋とおいしいランチと仕事中のお茶を分けてもらって、一緒に仕事をするのが、コロナ禍の私のトレンドだ。
「本が好きなだけ。お前も知っているだろう」

「パッと見、オートミールってカンジしないね」
「徹底的に粉にしたからな」
「徹底的?」
「すり鉢製粉。ストレス解消。『自分の仕事くらい自分でやれゴマスリ上司』。誰とは明示しない」
「把握」
「なかなかスッキリするぞ。無心にもなれる」

少し形のいびつな、それでも丁寧に焼いてくれたんだろうクッキーを、ひとつつまんで、口に放る。
「……ちょこっと、焼き餅……風味?」
サクサクっていうより、ホロホロの食感で、低糖質推しの先輩が作ったらしく、甘さが控えめだ。
「災難だったな。今日私の部屋に来たせいで、美味くもないクッキーモドキの毒味をさせられて」
「好きだよ」
「なに、」
「好き。焼いてくれたのも、嬉しいし」

媚びても世辞を言っても、何も出せないぞ。
目が泳いで、照れてそうな少し嬉しそうな、でもそれを必死に隠してる平静顔の先輩。
それこそ照れ隠しに、あずきホイップのクッキーつまもうとして、ドジッ子的にホイップクリームに中指突っ込んじゃってるのを、
私はニヨニヨしながら、ジト見してた。

6/16/2023, 5:21:40 AM