結城斗永

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地下深く、配管と歯車に囲まれた壕の中で、僕は時を刻み続けていた。
右足、左足、右足――。
僕が床のペダルを踏みこむと、巨大な歯車がグワングワンと音を立てて回り、目の前の巨大な文字盤の上で、秒針がチクタクと一定のリズムを刻んでいく。
世界が正常に進んでいく音を聞くのが僕の生きがいだった。

世界の時を動かすために、僕はずっとこのペダルを踏み続けている。昼も夜も一所懸命、力の限り。
僕の足が世界の時を動かしている。
僕の足によって、風が吹き、水が流れ、動物たちが歩き出す。世界が回る。
だから僕はリズムを刻み続けるんだ。

ある日、僕の前に少女が現れた。
機械の上に頬杖をつきながら、僕の方を見つめている。
しかし、彼女に気を取られてリズムが狂わないように、なるべく彼女のことは見ないようにした。

右足、左足、右足――。
ペダルを踏む僕の隣で少女が口を開く。
「ねぇ、君さ――」
「気が散るから話しかけないでください」
声を遮るようにそう言うと、彼女は不貞腐れたように頬を膨らませる。
「もう時間なんて止めちゃえば?」
少女の声で一瞬ペダルを踏む足が止まる。秒針の動きがブレる。
その瞬間、カンカンカン!と頭上の鐘がけたたましく乾いた音を響かせる。
――ヤバい!
僕は再び足を動かす。呼吸を落ち着かせ、一定のリズムを意識する。再び秒針は元のリズムを取り戻し、正確な時を刻み始める。

世界の時が止まらないように、僕はずっとこのペダルを踏み続けなければいけない。昼も夜も休むことなく、ただひたすらに。
世界の時のために僕は足を止められない。
僕がこの足を止めると、風が止み、水が止まり、動物たちが死んでいく。世界が止まる。
だから僕はリズムを刻み続けなければいけない。

その日から毎日少女は現れた。
そして、その度に「止めちゃおうよ」と僕をそそのかす。
「そんなことをしたら世界が壊れてしまう」
彼女はわかっていないんだ。世界が時を止めれば、多くの命が失われる。季節は巡らず、命は巡らず、世界の秩序は崩れていく。
「時が動いてても、君の世界が何も変わらないなら、それは時が止まってるのと同じじゃない?」
彼女の言葉に僕は思わず苦笑する。そんなこと言ったってどうしたらいい。世界を犠牲にして僕に止まれと言うの?

その日の夜、何度も少女の言葉を思い出しては足が止まりかけた。そして、その度にあのけたたましい鐘が鳴る。
世界はいま、止まったり動いたりを繰り返して、とてつもなく混乱しているに違いない。休んじゃだめだ。僕は時を刻み続けなきゃ。

でも、僕は世界の中で本当に時を刻んでると言えるんだろうか。それで僕の世界は何か変わっているだろうか。

そもそも外の世界は本当に時を刻んでいるのだろうか。僕の視界の中で、時が動いているのを確認できるのは目の前の歯車と秒針の動きだけ。
風が吹き、水が流れているのも、動物たちが歩いているのも――、何なら日が沈み、また昇ってくるのすら、この地下室からは見ることができない。
本当は既に世界の時は止まっていて、僕は無駄に足を動かしているだけなんじゃないのか。

そう思った瞬間、途端にすべてがバカバカしく思えてきた。
段々とペダルを踏むリズムはゆっくりになり、再びけたたましい鐘が鳴る。
いっそのことこのまま鐘を鳴らし続けてみようか。
僕の足が完全に止まるまで。

そうして、僕の足は完全に止まった。
鐘はずっと鳴り続けている。歯車は止まり、秒針もピタリと動かなくなった。
ペダルから足を降ろす。浮き沈みのない確かな地面の感覚が足の裏に伝わってくる。

外がどうなっているか確かめたい。僕はフラフラとした足取りで地上への階段を登っていく。
これまでの疲労のせいか、ぐらりと視界が揺れ、足元はおぼつかない。
一段ずつ確実に上がっていく。壁に手を添え、時に体ごと預けながら、最後は這いつくばるように。
そして、外へつながる扉は開かれた。

眼前に広がる世界は壮大だった。
太陽はさんさんと輝き、風に乗って雲は流れ、遠くから水の音がする。鳥が囀りながら飛び、動物の気配が草葉を揺らす。

世界は動き続けていた。
僕が足を止めても世界は止まらなかった。
世界を動かしていたのは僕だけじゃなかった。
なんでもっと早く気づかなかったんだろう。
世界を動かしていたのは、無数の命だということに。

僕はゆっくりと目を閉じて、世界の時間をこの肌で感じる。すると、風に乗って少女の声が胸に響いてくる。
『ようやく君の時間が動き出すね』
これまで動き続けることで止まっていた僕の時間。
僕の中で心臓がトクトクとリズムを刻んでいる。
――これが一番大切なリズムだったんだ。
これから何をしよう。やりたいことが涙と一緒にあふれ出る。
僕は滲む視界で動く世界を見ながら、じっと自分の時間を噛み締めていた。

#時を止めて

11/5/2025, 8:45:52 PM