清純派女優の不倫だとか、国民的タレントの性加害だとか、人は見かけによらず、イメージに騙されたり、勝手な思い込みをしたり。
そして、裏切られたと嘆く。
SNSで罵詈雑言を送りつける。
時には、何かの間違いだと彼らを擁護し、彼らの謝罪ですらも信じようとしない。
人は自分の意思で生きる。
誰の指図も受ける謂れはない。
ましてや、ファンと公言する存在など、彼らの人生にとって間接的に絡む程度のものであって、彼らの人生を左右する力など持ち合わせてはいない。
にもかかわらず、裏切られたと嘆く。
落ち込み、憤り、中には攻撃を仕掛ける者、我が身を傷付ける者もいる。
家族や恋人、ともに生きるパートナーであれば話は別だ。
自分の人生に融合して存在するものだから。
だが、画面や紙面の向こう側の彼らはどうだ?
憧れ追いかけるための存在だが、肌に触れることも難しく、心を通わせることもままならない。
そんな存在が、自分の思うがままに生きたからといって、当事者以外の誰に咎められる理由があろうか。
まあもちろん、ずっと憧れ追い求めてきた者からすれば、好きになれない、だが嫌いにもなれない狭間に苦しむこともあろうが、それが推しを尊ぶという行為の代償なのではないだろうか。
まさに、推ししか勝たん人生を送っているが故の苦悩だ。
至福の苦悩ではないかと思う。自業自得とも言える。
いずれにせよ、他人に依存する限り受け入れるしかない、推し活に付随する試練ということになろうか。
例のごとく、ずらずらと書いているうちに訳が分からなくなるパターン。
だがまあこれも、書く習慣を身に付けるための一工程だ。
甘んじて受け入れよう。
好きにも嫌いにもなれない、自分の作品をいつの日か、両手放しで「好きだ!」と言えるように。
4/29/2025, 9:45:38 PM