ふとこの教室から消えてしまいたいなんて思ってしまった。
もし、この教室から私が抜けたら。
給食当番は今よりはやくなる。私は不器用だし
あと係は1人少なくなる。
最近ドラマを見たからこんなこと考えてるのかも。
親友が蘇る話。でも最終的に帰ってくんない?ってみんなが言う。確かにいなくなって不幸になった。日常が楽しくなくなった。
その二年後に帰ってきた親友。楽しく遊ぶ日々。
「でもそれはもう日常では無い」
2年後の日常に慣れてしまった。だから今は親友がいるのが非日常なのだった。
いる方が違和感があります。なんて死んだ時に皮肉な話だな。
でも、放課後の窓に自分の姿がうつった時にすでにそれを理解していた気がしたんだよ。それが皮肉でも同じ気持ちと言えるかもしれない。ここにうつる自分は今を生きている。それはもう過去の日常が繰り返すことは無い。
だからどんなに辛くてもどんなにしんどくても今を生きているというのは大事なことだと思った。過去ばかりに目を向けるのは今を生きていることとは違う。
過去は割と引きずらないほうが楽しいのかも。
別に今を生きていさえいればいい気がするんだよね。呼吸さえしていれば少なくともこの窓に私はうつりつづける。
もし私が死んだらこの放課後の景色を見ることはできないかもしれない。
それだけで呼吸する意味はある。
放課後は色んなことを考える時間がある。この記憶は死んだ後も覚えていたい。仏壇にはセーラー服姿の若い頃の写真も飾ってもらうことにしよう。確かに窓にうつっていた自分と放課後のカネの音が記憶とともに思い出せるように。
呼吸しとけば人生なんとかなる。遺影をみてババアなんて言わせんぞ…。
10/12/2024, 5:03:21 PM