『通り雨』
朝目が覚めると、まず最初に死にたいと思う。また憂鬱な一日が始まるという事実を受け入れることが出来なくて、小さなため息がこぼれ落ちる。
鉛のように重い身体をゆっくりと動かして階段を降りると、母のすすり泣く声が聞こえてくる。
「お母さんどうしたの」
傍に立って、心配そうな表情を浮かべながらそう尋ねると、母は私の手首を掴む。
「あの人はどうして私を捨てたのかしら」
母は震える声で私にそう尋ねたかと思えば、死ねば良かったのかしら、消えれば良かったのかしら、つらいのよ、苦しいのよ、とヒステリックになり始める。
「大丈夫だよ。私はお母さんを捨てたりはしないよ」
そう言って母の背中や頭を撫でると、母は段々落ち着きを取り戻し、涙が止まり、やっと私から手を離してくれる。
「そうよね。私とあなたは死ぬまで一緒だものね。パン焼いておくわね」
母は私の赤くなった手首なんて気にもとめず、満足気に笑って朝ごはんの用意を始める。
これが私の朝のルーティンだ。
どれだけ早起きをしても、母が中々泣き止まず、学校に遅刻してしまったり、理由も言わず、ただただ娘を帰らせてくださいと学校に電話をかけてくるせいで早退させられたりなんてことは珍しくなかった。
そんなんだから、家庭内暴力があるらしいだとか、親が捕まっていて働かなければいけないらしいだとか意味の分からない噂が絶えず、廊下を歩けば色眼鏡で見られ、後ろ指を指される。もちろん、守ってくれるお友達なんてものは存在せず、先生でさえもモンスターピアレンツの子だと距離を取ってくる。
人間は誰しもつらいことがあるのだと、いつかは必ず幸せになれる日が来るのだと、そんな言葉をよく耳にする。胡散臭い言葉だと思いながらも、もうすぐ幸せになれるんだ、つらいのは今だけだ、これは通り雨なんだと自分に言い聞かせ耐えてきた。
でも、もう限界なんだと思う。
道路を走る車を目にすれば飛び出したい衝動に課せられて、学校の屋上に行けば飛び降りたい衝動に課せられる。眠ろうと目を瞑れば母の泣き声が聞こえてきて、息が苦しくなる。涙はもう何ヶ月も出なくて、死にたい気持ちだけが高まって、誰にも届かない声が私の中をぐるぐる回る。
私は一体どうしたら良かったのだろう。
私はただ雨が止んでほしいだけだった。雨宿りをさせてくれる人が欲しいだけだった。雲一つない青くて綺麗な空が見たいだけだった。それだけだったのに、そんな小さな願いは何一つ叶わなかった。
でもやっと、幸せになる覚悟が決まったんだ。
暗くて寒い自室で、自分の顔と同じくらいの大きさの"幸せへの入口"を作って、そっと足を踏み入れる。私にまとわりついていた息苦しさも、つらさも、死にたいという気持ちも、全部全部を思い切り蹴り飛ばしたその瞬間。
それは確かに、雲一つない晴天だった。
9/27/2024, 12:50:36 PM