sairo

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遠く、手を繋いで寄り添い歩く少年と少女の姿を認めた

表情が見えなくとも、互いに微笑み合っている様子が手に取るように分かる。幸せそうな二人がとても微笑ましく、妬ましく思えて自嘲した。
なんて愚かで惨めなのだろう。ただ与えられたものを受け入れた結果の婚姻であったはずなのに。
目の前に手をかざし、去って行った二人を思い描く。
二人を自分を彼の姿に置き換え。彼と手を繋ぐ、もしもを想像して。

――本当に、惨めだ。

叶わぬ空想を掻き消して、目を伏せた。


彼と夫婦になり、いくつか変わるものはあれど、彼との関係が変わる事はなかった。
否。ここ最近、彼は屋敷に戻ってはいない。以前は彼と共に祓い屋として方々を駆け回っていたが、今はそれもない。
大事にされているのか。それとも飽きてしまったのか。
結納を済ませた後から、彼は自分を屋敷から出そうとはしなかった。
小さく息を吐く。一人でいるからか、今日はやけに気が滅入る。
そろそろ戻るべきだろうか。屋敷のモノらに辟易して屋敷から抜け出してきたが、こうして悪い事ばかりを考えてしまうのなら、彼らに世話を焼かれている方がよほどいい。
顔を上げ、もう一度だけ二人の去って行った方へと視線を向ける。込み上げる寂しさから逃げるように踵を返し。
背後にいた誰かと、ぶつかった。

「――ぁ。すみません。気づかなくて」
「そうだよな。いつ気づくか待ってたが、結局気づかないままだったな」

揶揄うような低い声に、思わず身を縮ませた。

「な、んで」
「仕事が終わったからな。帰るのは当然だろう?」

離れようとする体を、許さないとばかりに強く抱き留められる。彼の表情が見えない事が不安で、怖くて。これ以上機嫌を損ねるのを恐れて、抵抗する事が出来ない。

「っ、ごめんなさい。屋敷を抜け出して。少し外の空気が吸いたくなって」

言い訳にしか聞こえないと分かっていても、それでも逃げたと思われたくなくて、必死に言葉を紡ぐ。自分の態度一つで、今まで続いていた人と彼の契約が切れてしまうのだけは、避けなければならなかった。

「もう勝手に屋敷から出ないから。だから」
「いい。一人にさせてたオレが悪い」

静かな彼の声からは、怒りの感情は感じられない。それに密かに安堵して、彼の顔を見ようと身じろいだ。

「これからは人間共に振り回されずに済むからな。思う存分一緒にいてやれるぜ」
「……それって」

嫌な予感に動きが止まる。彼の言葉の意味を知りたくないのに、体はその言葉の真意を問うため、視線を上げて彼を見た。

「ああ。別にオマエがどうこうって訳じゃない。ただ爺が死んだ。契約者が死んだから、契約も終わったってだけだ」

爺の子に継ぎたかったみたいだがな、と彼は笑う。楽しげなその笑みに何と返したら良いのか分からず、無言で彼を見続けた。

「赤子だったオマエを対価に、オレを従える人間との契約は、契約者だった人間の死によって終わった。これでオマエも自由になったって訳だ」
「じ、ゆう」

自由。それはつまり、彼と共にいる理由が一つなくなったという事だ。これで自分には夫婦という曖昧な関係しか残されていない。契約よりも遙かに簡単に、それこそ彼の気分一つでなくなるだろう関係。
もしかすれば、それすらもすぐになくなるのかもしれない。彼が人に従っていたのは、自分という暇つぶしの玩具があったからだ。差し出された対価を気に入り、玩具に飽きるまではと、暇つぶしに契約をした。それを契約者の死で終わらせ、新たに契約を結ばなかったのならば、それは自分に飽いてしまったのだろう。
そこまで考えて、ふと彼と離れたくないと強く思っている自分がいる事に気づく。
今まで受け入れるだけだった、受け入れるしかないと、そう思っていたというのに。
贄として彼に捧げられた事も。彼の側にいる事も。彼と夫婦になった事も。

「さて、オマエはこれからどうしたい?オレのご機嫌取りをする必要はなくなったんだ。オマエの意思で、何がしたいか言ってみろ。妻の望みになら何だって応えてやるよ」

顔を近づけて、彼は囁く。彼の言った妻の言葉に、微かに胸の苦しさを覚えた。
まだ妻と、彼と夫婦でいられるのだろうか。彼の隣にいても許されるのか。
それならば、と。ぼんやりと先ほどの二人の姿を思い浮かべる。
幸せそうな二人。手を繋いで、寄り添って歩いて――。
望んでもいいのだろうか。

「手を…」

言葉が続けられず、口籠もる。
言える訳がない。言葉にしてしまうには、それはあまりにも烏滸がましい。

「いいぜ、言え。言葉にしろ」

俯きそうになるが、彼はそれを許さない。目を合わせて、言え、と促される。
望め、と。それを許しているのだと。
傲慢なほどに気高く、美しい狸の主に促されれば、黙するままでいる事など出来ようがない。
無意識に掴んでいた彼の服の裾を、さらに強く握り締める。笑いながらも真剣な彼の目に写る、不安そうな自分を見ながら、静かに口を開いた。

「――手を、繋ぎたい。です」

あの二人のように。
形だけでない、本当の夫婦になりたい。

そう思いを込めて伝えれば、彼は僅かに目を見開き。そして優しく目を細めて微笑んだ。
彼のこんな穏やかな表情を、初めて見る。

「もっと我が儘になればいいのにな。本当にオマエは、純粋で、無垢で」

少しだけ体を離されて、彼の服を握り締めていた手を解かれる。両手で包み込むように目の前まで上げられて、指を絡めて繋がれた。

「そんな可愛いオマエを、オレは一等愛しているよ」

繋いだ手を引いて、彼は唇を触れさせる。
それを間近で見て赤くなる自分を揶揄うでもなく。彼はさらに手を引き、倒れ込む体を抱き上げて歩き出した。
帰るのだろう。彼と自分の屋敷に。

ふと、頬に冷たい一滴が触れた気がして、顔を上げる。
済んだ青の空の下。ぽつり、ぽつり、と雨が降ってきていた。

「天気雨…?」
「案外、狸でも雨を降らせる事が出来るもんだな」

初めて知った、と。楽しそうに、眩しそうに空を見上げる彼の横顔を見ながら。
本当に彼と夫婦になれたのだと、いっそ声を上げて泣いてしまいたかった。

「永遠に大切にさせてもらうぜ?オマエさん」
「はい…私も、愛しています」

いつかの言葉に、今度はしっかりと言葉にして返す。
驚いたようにこちらを見つめる彼に微笑んで、彼に擦り寄った。



20250320 『手を繋いで』

3/20/2025, 2:23:32 PM