sairo

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「レディ。今日こそは話をしようか」
「話す事は何もありません」

唇の端を歪めて嗤う彼から目を逸らす。
金色を纏った炎のように鮮やかな赤色が、視界の端でちらついた。
赤は怒りの色だ。激しく燃え上がる怒りを内に秘めながら、彼は話せと繰り返す。
一体何を話せと言うのだろうか。話す事で何の意味があるのだろうか。

「聞きたい事があるならば、素直に言葉にする事だ。レディ」
「話す事など、何も」
「嘘を吐くな」

鋭く冷たい声が、赤色を濃くして責め立てる。彼の手が首を掴んで、無理矢理に彼と目を合わせられた。

「俺は嘘が嫌いだと、最初に言ったはずだ」
「嘘、じゃない。本当に、何も…意味が、ない、のに」
「レディ」

赤色が消える。静かでありながら強い目に見据えられ、小さく肩が跳ねた。
色が見えない。他者の心の内を色で見る自分には、初めての事だ。

「レディ。最初の質問は何だ?」
「…何で。色が見えなくなるの?」

微かな呟きは、彼には理解できぬ事だろう。だが彼は笑みを浮かべ、首を掴んだままの手を離した。
彼の回りで金色が揺れる。誇りや自信。自分にはないものを纏い、彼は口を開いた。

「簡単な事だ。心を静めれば無になる。感情の色を見るレディには、無の色が見えないだけだろう」
「っ、なんで、知って」
「レディの瞳と似たものを、俺の故郷で見た事がある。より精巧な、心の内をすべて暴く瞳を知っている」

この忌々しい瞳を持つ誰かが、自分の他にもいる。それに救いを見出しかけて、自嘲する。
ただの色以上が見える誰かは、自分以上の苦痛を味わっているだろうに。それを比較して自分は誰かよりましなのだと、勝手に救われようとする自分の浅はかさに嫌悪した。

「次の質問の前に座るか。長い話になりそうだしな」

彼に促され、ソファへと向かう。一人掛けのソファに座らされ、彼は近くの椅子に腰をかけた。

「さて次の質問を聞こうか」

俯いて、首を振る。何を聞けばいいのか、分からない。

「思うままを言葉にしろ。俺はそのすべての言葉に、誠実に答えを返そう」
「何故?」
「それが俺の在り方だからだ」

彼の在り方。存在。
そもそも、彼について何も知らない事に気づいた。

「貴方は誰ですか?何故、こんな山奥にいたの?」

顔を上げて、彼に問う。
人目を避けるために移り住んだ山奥の家。山菜を採るために出かけた先で、彼を見つけた。
今目の前の人の姿をした彼ではない、黒い翼を有した狼のような姿をした彼。何の色も見えない、作り物のように美しい彼に目を奪われた。
彼と目が合って、人の姿へと形を変えた彼にも色は見えず。彼の求めるままに、気づけば家に招き入れていた。
自分は彼の故郷も、名前すらも知らないのだ。

「そうだな…Devil、Demon…悪魔、と言えば通じるだろうか。この島国から遠い大陸から、契約者だった者と共にこの地に訪れた」

彼が纏う金色に、赤色が滲む。先ほどよりも暗い赤色がゆらりと揺れて、彼は酷薄に唇を歪めた。

「だが契約者は死んだ。俺が殺した。俺に嘘をつくものは、例外なくそうなる。レディも気をつける事だ」
「契約者がいないのなら、帰ればいい」
「それが正しいのだろう。本来ならば、契約者が死んだ時点で帰るべきだ」

彼の目に射竦められる。消えない暗い赤色が揺らぎながら近づいて、鎖のように纏わり付く。
こんな事は初めてだ。今まで誰かの色が自分に影響する事はなかった。どんなに黒く濁った感情を誰かに向けられても、その色はその誰かに纏わり付いているだけだったはずなのに。
動けない自分に彼は笑う。その目に怒りは見えないのに、赤色はさらに色を濁らせていく。

「レディ。俺の契約者になってくれ。対価としてその身を害するものすべてから守り、求める答えを与えよう」

契約者。それが何を意味するのか、正しくは知らない。
けれど一度頷いてしまえば戻れない恐怖から、必死で首を振り否定した。

「ぃ、やです。貴方と、契約なんて、しない」
「残念だ、レディ…その言葉は、少しばかり遅かったようだ」

徐に、彼は立ち上がる。音もなく歩み寄り、身を屈めて目を覗き込んだ。
彼の誇りを表した金色と、怒りの赤色が混じった不思議な色合いの瞳が、怯える自分を映して歪む。

「拒絶するならば、最初からでなければ。家に招き入れ言葉を交わしたその瞬間に、契約は成された」
「なん、で。そんな」
「レディのその瞳が気に入った。異端として虐げられて尚、純粋さを保つ魂の色を映す綺麗な瞳を、欲しいと思った」

彼の手が頬に触れる。冷たい指先が零れ落ちる滴を拭い、そこで自分が泣いている事に気づく。

「何も告げずにいた無礼は詫びよう。代わりに暫くはレディの言葉の誤りを嘘とはしないでおこう。誰かと言葉を交わす事などなかったレディには、言葉を正しく紡ぐ事はまだ難しいだろうからな」

彼は笑う。涙の止まらない自分を見つめ、瞼に唇を寄せる。
動けず固まったままの自分を、彼の赤色が縛り上げていく。
あぁ、と声が漏れる。気づいてしまった。
この色は怒りではない。この赤は血の色だ。
これは血の契約だ。


「さあ、レディ。心ゆくまで語り合おう。Have a heart to heartというやつだ。こちらの言葉では、腹を割って話す、だったか?…心配するな。本当に腹を割る事も、心臓を抉る事もしないさ。レディが誠実である限りは、ね」

契約の鎖に縛られる自分を前に、彼は手を差し出す。
動けないはずの腕が、意思に反して持ち上がり。
その手を取って恭しく口付ける彼を、ただ見つめるしか出来なかった。



20250206 『heart to heart』

2/7/2025, 4:49:44 AM