おさしみ泥棒

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 気がつくと、俺は公園のベンチに座っていた。頭上で風に吹かれた葉っぱが、内緒話をするようにさわさわ音を立てる。その隙間から射すあたたかな陽光に目を細めた。
 ふいに砂利を踏む足音がして目を向ければ、男が立っている。紺色のポロシャツに、少し褪せたジーンズを履いた男は、「よっ」と片手を上げた。俺も軽く手を上げて応えた。
「今日もあついなあ」なんて言いながら、男は俺の隣に腰を下ろす。

「アイスでも買ってきたらよかった」

 男はつぶやいた。その横顔を、俺はぼんやりと眺める。あついだなんだとか言っているわりに、男は汗ひとつかいていない。
 ふと俺の爪先に何かが当たった。視線を下げると、青色のボールが落ちている。転がってきたほうに視線を向ければ、数メートル先で、小学生くらいのちいさな男の子がちらちらとこちらを窺っていた。
 隣の男は横からボールを拾い上げ、のんびりした声で「いくよー」と言った。飛んだボールは宙でゆるく弧を描き、男の子の細い両腕のなかにぽすりとおさまった。
 男の子はちょっと恥ずかしそうに「ありがとう」と言うと、こちらに背を向け、向こうで待つ友達の元に駆けていった。
 隣で、穏やかに笑う声が聞こえる。なにとはなしに、俺は隣の肩口にもたれかかった。

「なに、眠いの?」

 肩に緩く手を回された。かすかな重みが心地良い。
「ずっとこうしてたいな」と、男がぽつりと言った。そうだな、と言いたかった。だけどやっぱり声が出なくて、あきらめる。
 見ることができる。聞くことができる。ふれることができる。だけど決まって、声を発することはできないのだ。だから言いたいことの一欠片も、俺は伝えることができない。こんなにも近くにいるというのに。

 もうすぐ醒める。そんな気がする。今日もまた、何も言えなかった。夢が醒める前に、少しでも伝えたくて、その手にそっと指を重ねた。

【テーマ:夢が醒める前に】

3/20/2026, 12:03:46 PM