かたいなか

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「5月と8月に似たお題があったわ。『さよならを言う前に』と『昨日へのさよなら、明日との出会い』ってやつ」
まぁ、エモネタと天候ネタと時期ネタが多いこのアプリだもんな。「さよなら」ってだけでちょっとエモいもんな。
某所在住物書きは、過去作でどのような「さよなら」を書いたか思い出そうとスマホをスワイプし、途中面倒になって、努力を放棄した。
約4か月前と7か月前である。どれだけ下に潜っても潜ってもたどり着かぬ。根気の敗北であった。

「『さよならは言わないで◯◯と言われた』とか、
『さよならは言わないで指文字で示した』とか、
『さよならは言わないで無言で微笑んだ』とか、
他には……?」
ま、エモネタ不得意な俺には、どれも難しいわな。物書きはガリガリ首筋を掻き、天井を見上げた。

――――――

最近最近の都内某所、某職場、昼休憩中の休憩室。
同部署の先輩と後輩のタッグが、同じテーブルで向かい合い、座っている。
先輩の雪国出身者、名前を藤森というが、浅いため息ひとつ吐いて、テーブルに弁当包みを、その中のスープジャーを、上げる。

「おー。これが」
後輩はジャーのフタを開け、深く香りを吸い、
「これが私が買ってきちゃった、テツパイポー……」
感嘆の声を吐いて、即座に藤森に訂正された。
「パイカだ。鈍器ではない」

――物語は前日の夜までさかのぼる。

『5時間?!』
『鶏と違って、豚バラの軟骨は固い。圧力鍋や炭酸水、重曹を使えば時間を短縮できるが』
『さすがパイプ』
『パイカだ』

生活費節約の一環として、週に数回、シェアランチやシェアディナーをしている。
予算5:5想定で、食材や現金を持ち寄り、調理して、結果低出費で済み双方金が浮く。
提案したのは数年前の後輩。調理担当が藤森だ。
その夜後輩はスーパーマーケットで、見慣れぬ「豚バラ軟骨」なる部位を見つけた。
鶏軟骨なら知っている。豚バラ軟骨とは何か。

やすい。デカい。
深く考えず、深く調べず、それこそ鶏軟骨の唐揚げのイメージで、後輩は豚バラ軟骨のパックを買い物カゴに入れた。
先輩ならば、これを美味いメインディッシュに変えてくれるだろう。

再度明記する。「豚バラ軟骨」である。
ネット情報によれば、可食レベルに骨を柔らかくするには、普通鍋による煮込みで5時間を要する。

『私も昔一度、知らずに買って、晩飯ではなく翌日の弁当になった。上京してきて最初の年だったな』
どうしよう、5時間とかナニソレ夕食より夜食、
「メインディッシュ不在でシェアディナー不成立です。さよなら」は言わないで。ゼッタイ言わないで。
あわあわ慌てる後輩に、藤森は言った。
『明日の弁当にするか?お前のコレも?』
その日のシェアディナーは、肉も魚も使わぬ健康的な精進料理となった。
すなわち半額野菜と木綿豆腐を用いた、コショウと微量の塩の優しい、コンソメベジスープに。
あるいはそこに低糖質麺を投入した、煮込み塩野菜ラーメンに。

――と、いうのが昨晩。

「オーソドックスに、醤油とみりんの甘辛煮風だ」
昼休憩中の休憩室。最初のジャーを後輩に渡し、自分用のもうひとつをテーブルに上げながら、
後輩の紙コップに、タパパトポポトポポ。
ゆず皮香るほうじ茶を注ぎ、藤森が言った。
「これに懲りたら、食材で冒険する際は、少し対象を調べてからにするんだな」

「わかった」
濃い琥珀色に染まった骨は、そこにくっついた肉は、箸で割るに柔らかく、口に入れて素直に崩れる。
「食材で冒険する時は、先輩に頼ることにする」
はぁ。幸福にため息を吐き、先輩から貰ったほうじ茶を喉へ流し入れると、ゆずの清涼感が甘辛煮風のこってりを払った。

12/4/2023, 4:52:02 AM