『あの森に住む神様と目を合わせたら
その者は心臓を握り潰されちゃうんだって。』
小さな頃から私の住む村で言い伝えられてきた話。
何百年も生きてるだの、若い女は狙われやすいだの、何が本当か分からないくだらない話
だと思っていた。
普段は来ることを禁止されている
森の奥深くに興味が湧いて森の奥へと進んでいたら木の株に座る男の人の後ろ姿が見えた。
木に囲まれた中静かに座る彼が、ちょうどよく吹いた冬風も相まってかなんだか幻想的に見えた。
「あの、」
と声を掛ければ
『僕は神様だよ。君も聞いたことがあるでしょう。
目があったら殺されちゃう、恐ろしい神様。
僕が振り向いて君を殺してしまう前に、お帰り。』
と優しい声で語りかけてきたその人。
子供の名前を愛情込めて呼ぶ親のような声で、心地がいい声だった。
普段の私なら恐怖で逃げ出すんだろうけど、その声と優しげな雰囲気にこの人本当に人のこと殺すのかな?と好奇心が湧いちゃって逃げ出すこともせず、毎日この人に会いに来る事にした。
神様は私が会いに行くようになってから、最初こそ受け入れてくれ無かったし、追い返してきたけど
「貴方の顔を見なければ来ていいでしょ?」
と言えば困ったように笑い声を上げていいよ、と言ってくれたから、後ろ姿しか見えないけどやっぱり優しい人だななんて思う。
彼と会うようになって3ヶ月が経ったけど、色々な話を聞けた。
目があったら死ぬ、ではなく顔を合わせたら死ぬ事。
心臓を握りつぶされる、ではなく噛み殺される事。
この話をしてきた時、
『だから絶対に僕の前に来てはダメだよ。嫌いでない人でも、どれだけ大切な人で殺したくない人でも僕の体はその人を襲ってしまうから。』
と悲しげな声をして言った。
彼と会うようになって9年が経った。
私達は付き合っていた。私は彼のことを後ろ姿しか見た事が無いのに好きになるなんて、と少し可笑しかったが、そんなのどうでもいいくらい好きになってしまったから、頑張って告白し続けてつい数年前渋々好意に応えてくれた彼。
顔を見てはいけないから愛情表現は後ろから抱きついたりとかしか出来なかったけど、幸せだった。
彼はそれさえももし万が一、と心配して拒んでいたが、これも毎日し続けていたら受け入れてくれた。
毎日が、幸せだった。
彼と出会って12年目、私はふらふらの足で彼が待つ森の奥に急いでいた。
自分の体から滴る血にも、村の方から聞こえる悲鳴も知らないふりをして、ただただ急いでいた。
彼はいつも通り木の株に後ろ向きで座っていた。
「神様、」
と叫べばいつもと違う私の声に驚いたのか
心配したような声で『どうした』と言った。
「神様、お願い。私のこと殺して、お願い。」
そう言った瞬間彼の雰囲気が変わったのが分かった。
『何があった、僕は君の事を見て判断出来ないから教えてくれ。何があった。』
「村同士で戦争が起きて、私背中を切りつけられちゃって、それで、それで、、」
自分の体のことだ、自分自身がよく分かっている。
これはダメだ。もう、あともって数時間。
彼は私が言わんとする事を分かったようだった。
「だからどうせ死んじゃうんだったら貴方の顔を見て、貴方に殺されたい。」
彼はひどく動揺した声で、
『ダメだ、あと数時間は持つんだろう?それまでにどうにかすれば、』
「無理だよ、みんな死んじゃった、治療なんてできない。それに、苦しいまま耐え続けて最後を迎えるなんて嫌だよ。」
本当に苦しかった。背中は焼けるように痛んでいるし、臓器がぐるぐるとなっているし、血があまりにも出て意識が朦朧としていた。生地獄のような苦しみで最期を迎えるなんて、嫌だった。
それなら、最後くらい彼の顔を見たいし、彼によって楽にしてもらいたかった。
彼は私がこう考えている事を理解したようだった。
「お願い、私貴方の顔を見て幸せに死にたい。」
そういえば彼は意を決したようで
『待って、すぐに殺してしまわないように、耐えられるように頑張るから、待って。』と言って、
彼は私を抱き上げて木の株に座る自分の上に、向かい合わせで優しく乗せてくれた。
初めて、彼の顔を見た。
「やっぱり、優しくてかっこいい顔だ。」
そう言ってふふっと笑えば、彼の顔はひどく苦しそうな、悲しそうな顔をした。
『ごめん、やっぱり僕の体は君を殺そうとする。
でも今最大限耐えてるんだ、少しだけ、ほんの少しだけ殺すのを我慢できそう。』
彼の体はひどく震えていて、彼に辛い思いをさせて申し訳ないと思った。
「ねえ、抱きしめてもいい?」
そう聞けば、ぎゅっと私の体を抱きしめてくれる彼。
ああ、幸せだ。ずっとこうしてみたかった。
いつも後ろからだったから、ずっとずっと正面から抱きしめてみたかったのだ。
彼は抱きしめていた腕を離して、
『僕は君に出会えてこの12年間本当に幸せだったよ。
本当に、幸せだった。愛しているよ。』
と顔を合わせて伝えてくれた。
朦朧とした意識の中、私も、と言いたかったけど、声が出なかった。
彼は泣きながら、微笑んで話してくれた。
『僕がもし普通の人だったら一緒にしてみたいことが沢山あったんだよ、玄関で出かける君を見送ってみたかったし、君を抱きしめて2人で寝てみたかったし、それに、』
彼の言葉が詰まった。多分、限界なんだと思う。
『ごめん、ごめんね。本当にごめん。』
そう言ってキスをしてくれた。
そろそろ、殺されるんだろう。
謝らなくていいのに、私は彼に抱きしめられて、顔を合わせて愛を伝えてくれて、キスだってできて、本当に幸せだった。
彼が私の首元に顔を寄せて、牙を立てた。
幸せだった。彼に出会えて。そんな感謝を伝えたくて、噛まれる寸前、
「愛してるよ、」
と呟いた。
僕も愛してる、と聞こえた瞬間、私は最期を迎えた。
*
その後、神様は噛み殺してしまった彼女に口付けをして嗚咽を漏らしながら泣いた。
愛してる、と何度も何度も囁いて、彼女を抱きしめていた。
#向かい合わせ
8/26/2024, 2:14:12 AM