灯火を囲んで
夢は、夜と明けの間に通りすぎる儚い幻だ。
朝が来れば露と消え、見たことすら忘れてしまう。そんな存在だ。
しかし、その夢の中には、時に何十年が過ぎても心に感情の残影を残し、現実に生きる最中にふと思い出してしまう。
そんな夢もあるのだ。
朝に降り始めた小雨はいつの間にか本降りになり、ひっきりなしに五月蝿く窓を叩き続けていた。
――四ノ村 月子(よのむら つきこ)は、その日もいつもの日常を過ごしていた。
いつものように家を出て、いつものように近所のコンビニでレジに立ち。
慣れた手付きで仕事をこなしていた。
「いらっしゃいませ――」
「ありがとうございました――」
一生分の挨拶を、一日半レジに立ち、見知らぬ赤の他人に向かってマニュアル通りに“心を込めて“繰り返し、終われば幾ばくかのお金が貰える――。
楽ともいえないが苦とも言えない。
そこに特に思う所もなく、月子はこの仕事をもう何年も続けていた。
そんな時間をいつものように過ごしていると、むつまじく腕をつなぐ老夫婦が、ゆっくりとややおぼつかない足取りで来店してきた。
外にある傘立てには、赤い傘が一つだけ。――相合傘をして、ここまで寄り添って歩いて来たのだろうか。
そのほほえましい光景を想像して、少しだけ笑みがこぼれた。
「いらっしゃいませー……」
月子は、その老夫婦にいつも通り挨拶をする。
何気ない、いつもの日常の一幕のはずだった。
しかし瞬間――何故かふと既視感を感じた。
それも、妙に胸がざわつくような既視感を月子は感じていた。
――何だろう、この感じ。
月子は心を静めようと思い、目を閉じて深く呼吸をする。
すると、ふと一つの記憶の蓋が空いた。
それは――“灯火“だった。
頼りなく暗闇を照らす、一つの灯火。
その周りを、何人かの見知らぬ人が囲み、黙って輪を作り動かぬままにただ時を過ごしていた。
その中には――月子の姿もあった。
でも、何かおかしい。
自分の記憶の中なのに、自分を外から見る事など出来るわけがない。
なら、この記憶は誰の見た記憶だと言うのだろうか。
――そうか、きっと夢だ。忘れていた、いつか見た夢の記憶なのかも知れない。
そう月子は結論付けると、目を開けた。
すると、いつの間にか先ほどの老夫婦が、レジに並んで待っていた。
「大丈夫かい? 」
「具合でも良くないのか?」
「あっ……すみません、大丈夫です。 大変、失礼致しました。 すぐにお会計致します」
慌てて月子はレジに置かれた商品をスキャンして袋に詰めていく。
金額を読み上げ、置かれたお金をレジに入れてお釣りを渡す。
「若くっても、無理しちゃあダメよ。…… お仕事、頑張ってね」
そう言って老夫婦は店を出ると、二人で相合傘を差して雨の向こうへと消えて行った。
「あ……。 ありがとうございました――」
あまり客のこない、平日の半端な時間帯。
本降りの雨も手伝って、あのあとすっかり客足は途絶えてしまい、店のレジには月子ひとりだけがぽつりと立ち続けていた。
――あの既視感は……何だったんだろう。
それに、あの夢。
あれは、どんな意味がある夢だったのかな。
月子は再び目を閉じる。
浮かんでくるのは現実の――自分の過去の出来事だった。
幼い頃に両親が夜逃げし、アパートでひとりで泣いていた所を通報で駆けつけた警察官に保護された。そんな暗い記憶。
そして、もう一つだけ忘れられない記憶がある。
月子が5才の誕生日の日の夜の光景だ。
それは、彼女にとって唯一の両親との楽しい一夜の記憶であると同時に――両親と過ごした最後の夜の記憶でもあった。
忘れることの出来ない記憶が古傷を触り、胸がじくじくと痛む。
――もしも、お父さんとお母さんが今も生きていたら……きっと、さっきの老夫婦くらいの歳になっているのかな。
また、合いたいなぁ。
お父さんが笑って、お母さんも笑って。
それで、私の誕生日を祝うケーキがこたつの真ん中に置かれていて……。
それを、私が吹き消すの。
「大きくなったね」ってお母さんが笑って言って、私の頭を撫でようとして。
私が照れて逃げながら誤魔化して。
「もう子供じゃないんだから」って言って。
そしたら――お父さんが笑ってこう言うの。
「親にとっては、いつまでも子供は子供なんだから」って……――。
そこで月子は、目を開ける。
現実に帰ってくると、そこには相変わらず客のいないコンビニの店内と窓を叩く雨音だけがあった。
月子は、止まない雨を降らせる灰色の空を、ただひとり店の中から見つめ続けていた。
11/7/2025, 1:16:06 PM