「パーソナルスペースって知ってるか」
俺の質問に、榎本は首を傾げて「パーソナルスペース?」とオウム返しした。俺はため息をついてから、「あのな、榎本」となるべく優しい声音で言った。
「人には、それ以上他人に近づかれると不快になる距離ってのがあるんだ。それがパーソナルスペース」
「へえ。住野は難しい言葉知ってんだなぁ」
「…………」
難しいも何も常識だと思うが、生憎こいつに常識は通じない。現に俺の質問の意図をまったく理解していない。もうオブラートに包むのはやめて、ストレートに言うことにした。
「つまりお前は近すぎて気持ち悪い」
「えっ」
「距離感がバグってる自覚を持て」
榎本は目を丸くして俺を見ている。その様子だと本当に自覚がないのだろう。
並んで歩くと腕がぶつかる。やたらと肩に手を回してくる。もし大して仲良くもない奴相手にこんな距離感でいたら、何だコイツと思われるに違いない。
それに、例えば相手が、榎本に好意を抱いている女子だったとする。榎本にそのつもりがなくても、その距離の近さは思わせぶりになる。勘違いさせてしまったら、その女子が可哀想だ。
「俺相手なら別にいいけどさ、気をつけろよ」
俺は友人が女泣かせのクズ男にならないよう、榎本のためを思って注意した。決して榎本がモテるのが悔しいからではない。
けれども当の本人は、俺の指摘にあまりピンときていないみたいだった。なんだか腑に落ちない様子で「うーん」とか言っている。
「まあ俺、住野以外には触りたいと思わないし、大丈夫だと思う」
榎本は平然と言った。想定外の答えが返ってきて、俺は思わず固まった。
「ん? 今なんて?」
「住野以外には触りたいと思わないから大丈夫」
「……俺には触りたいと思うの?」
「触りたいっていうか、近いと安心する」
「なんで?」
「…………特別な存在だから?」
ちょっと考えてから、榎本は真顔で答えた。天然ボケの友人は、たまにこんな爆弾発言をする。本人はなんの他意もなく言っているから恐ろしい。
なんだよ、特別な存在って。それはそれで誤解を生むような気がするが。不覚にもほんの少しときめいてしまったことを悟られないよう、俺は「あっそう」と素っ気なく答えた。
【テーマ:特別な存在】
3/24/2026, 1:49:26 AM