ここはとある病院の診察室。
鬱の治療をしている患者の太田と、その担当の医者が話していた
「太田さん、前回の診察から一週間経ちました。
鬱の新薬を処方しましたが、気分はどうですか?」
「バッチリだよ。
今まで気分が落ち込んでいたのが嘘のようだ」
「それは素晴らしい」
太田は、これ以上ない笑顔で、医者に笑いかける。
今の彼からは、始めて来院した時の暗い表情はどこにもなかった。
「最初あの薬を出された時は、からかわれているのかと思ったよ。
でもマジで効くとは思わなかったなあ」
「新薬ですからね」
「そう言う意味じゃないんだが……」
「なにか気になる事でも?」
「うーん」
太田は腕を組んで悩み始めた。
言いたいことがあるのだが、うまく言葉に出来ない様子である。
多くの場合、患者は専門知識がないため言語化が難しい
医者は咎める様子もなく、じっくりと太田の言葉を待つ。
「先生」
「何でしょうか?」
「これ、本当にクスリなんだよな」
太田は医者に疑惑の視線を向ける。
全てのものが信じられないという顔だ。
まるで鬱が再発したかのようだった。
しかし医者は気にする様子もなくにこりと笑う。
「正真正銘のクスリですよ。
何か気になるこことが?」
「あー、先生がそう言うなら別にいいんだ。
素人がとやかく言っても仕方ないしな」
何も疚しいことはないと、医者は堂々と答える。
それを見て太田は、逆にシドロモドロになった
「いや、あれだ。
俺はクスリ嫌いでな。
そんな俺が、ちゃんと服用できたことが信じられなくてなあ。
疑って悪かったよ」
「いえいえ、なんでもかんでも信じるのも、それはそれで問題ですからね。
でもご安心下さい。
効果のほどは、私の体で検証済です」
「なんだよ、先生も使ってんのか」
「ええ、医者が病気しては大変ですから。
予防のため、少しだけ。
でも気をつけて下さいね。
効能が強いクスリなので、取りすぎは毒です」
「分ってるって」
太田は困ったように笑う。
言葉では否定するものの、過剰摂取しているのは丸分かりだった。
だが医者はそれを咎めるような真似はせず、にっこりと微笑む。
「今日の診察はこれまでにしましょうか。
経過は順調なので、このままいきましょう」
「分かりました」
「クスリが合っているようなので、同じものを出します
ああ、違う味で出すのでご心配なさらずに」
「助かります。
正直飽き始めてましたから」
「ではお大事に」
「ありがとうございました」
太田は満足した顔で、診察室を出ていく。
それを見送ったあと、医者は誰にも聞かれないくらいの声で独り言を言う。
「今日は少し危なかったな」
医者はそう言いつつ、背伸びをしてリラックスし始めた。
医者はこれから少しだけ休憩時間を取る。
多忙な業務をこなすためには、こまめな休憩は必要だからである
「『クスリですか』って疑われるとはねえ。
でも……」
医者は机の引き出しを開け、お菓子を取り出す。
このお菓子は、太田にクスリとして出したものだ。
もちろん薬効効果はない。
「イワシの頭も信心から。
お菓子も信じればクスリだよ。
それに……」
医者はぱくり一口お菓子を食べる。
「美味しいお菓子は、心の健康にいいのさ」
8/14/2024, 2:56:10 PM