「君と最後に会った日」
56歳の図々しいおばさんである今の私が言っても、誰も信じてくれないのだが、私はとても人見知りする子どもだった。知らない人はもちろんのこと、しばらく会っていない人も目の前にすると緊張してしまい、挨拶もできなかった。
小学校入学前の、保育園の年長だったときに、私は両親に連れられ、東京から電車で秋田に行った。秋田は父の出身地なのだが、私はただ遊びに行くだけだと思っていたのかもしれない。お盆でも年末年始でもゴールデンウィークでもない、まだ少し雪が残っていたのを覚えている。
秋田に着くと、タクシーに乗り、着いた場所は病院だった。病室に入り、父はベッドに寝ている高齢の男性に挨拶し、話しを始めた。そして母も挨拶すると、私も挨拶するよう促した。
私はその人が誰なのか、全くわからない。しかし男性は優しい笑顔で
「恭子ちゃん、こんにちは」と言った。
その時、私は挨拶をしたのか思い出せない。
なぜこの人は私のことを知っているのか不思議だった。
面会時間は10分くらいに思えた。とても短時間だった。
私は幼いながらにも、本人の前で尋ねるのは失礼な気がして、病室を出ると、
「あの人誰?」
と両親に聞いた。2人ともなぜかだまっていた。
病院を後にしてから、どこへ行ったとか何をしたとかの記憶はなく、その断片だけ覚えていた。
何十年と忘れていたこのことを、なぜ思い出したかと言うと、実家の亡くなった父の部屋で、ある手紙を見つけたからである。
封筒の中の1枚の写真を見て、その思い出の断片がよみがえった。この人だ、と思った。
白黒写真の裏に、日付と男性の名前、写した場所と思われる病院名が書かれていた。
私は母から、父方の祖母は再婚していることを聞いていた。憶測にすぎないが、年齢を考えると、祖母の再婚相手だったのかもしれない。私が、誰なのか聞いたときに両親が答えなかったのは、幼い私に説明してもわからないと思ったからか。
手紙を読むと、ほとんどお礼だった。そして最後に、
「最後に恭子ちゃんに会わせてくれてありがとう」
と書かれていた。
母は介護施設に入っており、聞いてもわからないと思う。
どうして私に会いたかったのか、どうして両親は私を会わせたのか、もう知る由もない。
6/27/2024, 9:48:52 AM