浜辺 渚

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仕事の転勤で海辺のアパートに引っ越すことになった。どうして、僕が選ばれたかはよく分からないが、恐らく、人間関係を上手く築けていなかったからだろう。少なくとも、僕に大きな期待を寄せて選んだという訳ではなさそうだった。
転勤先での業務は太平洋の水をティーカップで空にしようとするようなあまりに無茶な内容だ。無茶で無駄で無謀だ。やっていくにつれ自分の中の大事なものが擦り切れている感覚がある。元々僕の中にそれほど強固なものは無かったが、どうにか保っていた泥団子すらも、ダイヤモンドやすりで削られているような感覚だ。

それでも、生きてくためにはやっていかないといけない。逃げることも出来るのかもしれないけど、正直逃げることが正しい選択なのかを考える余裕すらも今は無い。なんだか、矛盾のようにも思えるかもしれないけど、誰だって多かれ少なかれの矛盾を抱えているものだ。

海辺のアパートで暮らすようになってから2ヶ月ほど経った。僕には仕事終わりに、30分ほど海辺で散歩する習慣が出来上がっていた。そして、今日も僕は海辺を歩いていた。
6月が終わり、本格的に夏が始まろうとしてる。夜の海辺は程よい気温で散歩にはもってこいだ。海風が強くなびいて、湿った空気が体中にまとわりつく。それは何も持たない僕をコーティングして、守ってくれているような気がした。

海辺を歩いて、空を見上げると、そこには一面の星空が輝いていた。何度見ても見慣れない絶景だった。
どこに焦点を決めるでもなくぼんやりと眺めていると、夜空は宇宙の広がりに従うように遠く離れていき、徐々に星の光が小さくなっていった。瞬きをすると、星の位置は元に戻っていた。その一時的な錯覚は僕が現実に括り付けられているという気をいっそう強めた。僕に星は手に入らないんだ。
そんな気持ちを抱えながら、目線を海に下げてみると、そこにはまた違う星空が広がっていた。ウミホタルだ。ウミホタルが海という大きな土台に青白く存在を主張していた。
「綺麗だ」僕は思わずそう呟いた。
興味本位で波際に行き、しゃがんで近くから観察してみると、そこには無数の米粒のような生き物があちらこちらに泳ぎ回っていた。
両手を入れてみると、ウミホタルが手にぶつかる感覚があった。くすぐったくて、手を引こうとしたが、試しにそれらを手ですくいあげてみた。
すると、そこには宇宙が広がっていた。ウミホタルの光が海の水を透明に照らし、舞っている木屑は惑星のように光った。手のひらの3次元空間では、それは夜空と言うよりも宇宙のように見えた。

その手のひらの可能性に何かを見出した訳では無いが、何となく、現実との距離が遠くなったような気がした。







1/18/2025, 1:38:40 PM