「透明な涙」
なぜだか涙が出てくる。悲しくなんてないはずなのに。そんな経験を初めてした。
ある冬の日のことだ。
朝、目を覚ました僕はベッドの端に座りながら、壁の模様を眺めていた。頭がまだ回らない。
ベッドの傍に備え付けてあるストーブが音を立てながら、部屋を暖かさで満たしていく。
体が少しずつ温まってきた。
寒さで痺れていた感覚が戻ってくるのがよくわかる。
そこで、ようやく気づいた
黒のパジャマに染みができている。ついさっきできたばかりのようだった。
頬に手を当てると涙が指を冷たくした。
涙の原因を辿って行った。直近の出来事で涙を流すような悲しかったことは思い浮かばない。
眼病を患っているわけではない。
先日、眼科で定期検診をした時には異常なしと判断された。
だとしたら、この涙は一体何なんだろう。
私は目を閉じ自分の過去に飛び込んだ。あえて今まで思い出そうとしなかったことがある。
なぜだか今、その過去に触れなければいけないような気がした。
私が十八歳の頃、連帯保証人になっていた父に巨額の借金が舞い込んできた。連帯保証人など断ればよかったのに優しかった父は引き受けてしまった。
財産を全て失った父は私に大学進学は諦めてくれと深々と頭を下げた。僕に選択肢などなかった。
高校を卒業してから僕は自営業をしていた父と共に働き始めた。
僕が大学に進学できなかった分、弟と妹にはせめて大学に進学させてあげたかったからだ。
働き始めて気づいた。父の仕事は、すでになかなか稼げなくなっていたのだ。
父は子供たちに日々の暮らしで苦労させないように不安を隠していたのだった。
このままでは弟たちの学費が稼ぐことはできない。そう思った私は インターネット販売に業態を変更するのはどうだろうかと提案した。父もやってみようと、私の案を聞いてくれた。
希望と期待に満ちていた。
私はこの時、現実の厳しさを知った。業態を変えたところでなかなかすぐにはうまくいかない。
生活費を稼ぐのに精一杯で、貯金をすることなんてできない。
私は焦った。でも、父はもっと焦燥感にかられていた。この時の私はそれ気づかなかった。
ある日、父がなかなか帰ってこない日があった。
なぜだか不安にかられた私は何度も何度も父の携帯電話に連絡を入れた。電波が届かない場所にいるか電源が入っていないと自動音声が流れる。
二十回くらい電話をしただろうか、ようやく父が出てくれた。
その声は泣いていた。
「今どこにいるの?」
「〇〇川、これから帰る。」
不安で父が帰ってくるの待ちきれなかった私は家の外に出て周囲を探していた。
そして私は、父が〇〇公園の近くを歩いているのを見つけた。
父は涙を流していた。
私は父の手を握り一緒に帰った。
努めて明るい話題をふるようにした。
昔の私は辛い出来事に遭遇しても涙を流すのを我慢し道化を演じていた。家族には笑って過ごして欲しかったからだ。
哀しみの感情を封じ込めていた。
仕事は幸運なことに、父のあの出来事を境に決まり始めた。
爾来、私は目に見えない何か大きな存在に守られているような感覚を持ち始めた。
生活が戻り、弟と妹が無事に大学を卒業した。私は感情を抑制することなく悲しい時は素直に涙を流せるようになった。
過去を追想し終えた。きっとこの涙は哀しむことさえ封じ込めていたあの時の私の感情が無意識に現れたのかもしれない。そう結論付けた。
1/16/2025, 12:51:49 PM