おへやぐらし

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「パパ、怖いよ」

窓の外から聞こえてくる呻き声に、
娘のレイチェルは怯えて父親に縋り付いた。

「あなた……」

妻のドロレスもまた、夫の名を呟き、
華奢な肩を震わせた。

「大丈夫だ。父さんが必ず、
二人を守るから……」

手の中のバットを固く握りしめるテディ。

釘を打ち付けた壁を叩く音が激しさを増す。
やがて、轟音と共にバリケードが崩れ去り、
おぞましいゾンビの群れが雪崩れ込んできた。

「逃げろ!」

家族を庇うように前に躍り出たテディは、
ただ無我夢中でバットを振り回す。
しかし、その数はあまりにも多すぎた。

妻と娘の悲鳴が、耳朶をつんざく。

「やめろ!」

家族を守らなければ、守らなければ──。

視界が白く霞んでいく中で、
鮮烈な光景が脳裏を駆け巡った。

血に塗れた部屋。横たわる妻と娘。
そして、その傍らに立ち、
口元を赤く染めた自分の姿が。

夜の帳が降りた墓地で、テディは目覚めた。

冷たい土の中から、朽ちた身体がゆっくりと
引きずり出される。夜露に濡れた地面が、
彼の土気色の皮膚にまとわりついた。

「おはよう、今宵も良い夢を見ていたようだね」

澱んだ空気に似合わない、
清澄な声が頭上から降ってきた。

見上げれば、そこに立つのは黒衣の男。
夜闇に溶け込むような深みのある瞳は、
ぞっとするほど冷静に、テディの全てを捉えていた。

ネクロマンサー。
死者を操り、使役する者。
この世界で、彼だけがテディの主人だった。

ネクロマンサーは、まるで愛おしいペットでも撫でるかのように、テディの頬に触れた。細く、しかし
確かな熱を帯びた指先が、腐敗した皮膚の上を滑る。

「君はいつも、あの日の夢を見ている。
家族を守る、勇敢な父親の夢を。
……いい加減、飽きないのかい?」

吐き出された言葉は、テディにとって
何よりも恐ろしい現実を突きつけた。

感染し、飢えに駆られ屍と成り果てたあの夜。
人間としての理性を失い、
愛する家族を喰らった忌まわしい悪夢。

テディの心の奥底に深く封じ込められた
記憶を、ネクロマンサーはいとも容易く
覗き込み、残酷な真実を突きつけるのだ。

テディの喉から、軋むような音が漏れた。
言葉にならない、絶望の叫び。

妻の首筋に噛みついた記憶。娘の小さな体を
引き裂いた記憶。血の味、肉の感触。
それら全てが、生々しく蘇る。

「──殺してくれ」

喉元を掻きむしりながら、
くぐもった声でテディは呟いた。

最愛の家族がいない世界で、生きているのか
死んでいるのかさえ分からず、飼い殺される。
そんな現実は、彼にとって耐え難い地獄だった。

「そんな顔するなよ、テディ」

ネクロマンサーは、テディの肩を抱き寄せ、
その冷たい頬に自分の顔を埋めた。
土と腐敗の匂い。それでも、ネクロマンサーは
恍惚とした表情を浮かべる。

「君は、私のものだ。永遠に、私の傍らに
いるべき存在。どんな幻想に溺れようが、
決して逃がしてはあげないよ」

テディは、ネクロマンサーの腕の中で震える。

心臓はとうに止まっているのに、
胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。

夜闇に生者の悲鳴が響き渡る中、声も立てずに
泣く屍を、ネクロマンサーは抱きしめながら、
邪悪な笑みを浮かべていた。

お題「心だけ、逃避行」

7/11/2025, 6:21:06 PM