『誰かのため』という、一聴して耳あたりの良い言葉。 しかし、こうは考えられないだろうか。 『己の行動の原理・責任を、他者に依存している』と。 『誰かが喜ぶ』と『自分が嬉しい』。だとすればそれは、自分自身の為に他ならない。 ならばそれは『誰かのため』ではなく『自分のため』であろう。 自身の行動原理を他者に預け、失敗しても『誰かのためになると思ったから』で済ませる。 そんな言葉が、考えが、とても嫌いだ。
7/26/2024, 4:09:26 PM