池上さゆり

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 いつだって最低の父親だった。父親らしいことをしてくれたことなんてなに一つなくて、死んでほしいとすら願っていた。それでもお母さんは「あの人は今までたくさん頑張ってきたから」と言って全てを許していた。
 家に帰らず、外で飲み歩き、キャバクラの名刺を机の上に置きっぱなしにしていた。ギャンブルもしていて、常に情緒不安定だった。お母さんが作るご飯をたまに食べたかと思えば、文句ばかり言う人だった。
 そんなある時、学校で授業中に生徒指導の先生に呼ばれた。
「お父さんが事故に遭ったらしい。今から病院に連れて行くから荷物の用意をしてきなさい」
 あんなに嫌っていたのに、事故という単語を聞いた瞬間、口の中がカラカラに乾いた。先生に指示された通りに動き、病院に駆けつけると既にお母さんが待っていた。酒を飲んで酔っ払っていたお父さんは赤信号を無視して道路に飛び出たらしい。幸い、一命は取り留めたものの、まだ油断できない状況だという。
 長い長い待ち時間の末、やっと手術を終えた父親が出てきた。あまりの痛々しい姿に目を逸らしてしまった。すぐに意識は戻らず、その日は私だけが家に帰った。大丈夫だと言い聞かせて眠った。誰もいない家は気味が悪いぐらい静かだった。
 そして、次の日。私は学校の制服を着て棺に入った父親と向き合っていた。容態が急変してそのまま亡くなったのだという。
 お母さんはずっと笑っていた。
「頑張ったね。今までありがとう。ありがとう、私は幸せだったよ」
 なに一つ責める言葉が出てこなかった。事故の怪我で痛々しい顔をしている父親になんて声をかけようと考えても、なにも思い浮かばなかった。
 思い返せば、幼い頃は優しい父親だった。保育園の送り迎えはいつも父親だった。小学校の宿題でわからないところはいつも手伝ってくれた。小さい頃は旅行にだって連れてったもらったんだっけ。
 こんな時に思い浮かぶのは、荒れていた父親の姿じゃなかった。父親との幸せな記憶がこんなにあったのだと自分でも驚く。
 好きじゃないのに、好きじゃなかったのに。それでも、今だけはこんなにも苦しい。
 分厚い扉の先で燃やされている父親を見つめながら、最後にお父さんと呼んだのはいつだったっけと思い返していた。

3/26/2024, 8:57:10 AM