「あのね、なに色?」
「……何をやってるんです」
「それ色のなまえじゃないんだよ」
ガサッと音を立てたのはビニールシート。その向こう側で、目を爛々とさせている生物が私を見ている。明らかに何かの答えを期待しているが、そもそもの行動が意味不明すぎて、その答えのために頭を働かせる気が失せてくる。
かの有名な学者は1パーセントのひらめき云々と言っていたはずだが、そのひらめきが偉大な功績の他にもたらすものを知っていただろうか。
きっとそんなこと構いもしなかったのではないだろうか。この生物のように。
ソファの上で縮こまりながらビニールシートを被るこれが、「色のなまえ」とひとつ覚えのように言ってくる。
かの学者と並べるには幼いだろうか。
子どもだ。
「ね、なに色?」
「何色って……」
何を指して言っているのか曖昧な現状では、何とでも言える。肌色でも髪色でも服の色でもソファの布地の色でも。
「ぜんぶ混ぜたら黒ですよ」
「あのね、そんなの知ってる」
「あ」
ひょいと立ち上がった薄っぺらい身体が、風に吹かれたようにさっさとリビングから出て行った。持ち出してきたはずのビニールシートを放って。
それからことあるごとに何色か、と訊いてくる。
「あのね、なに色?」
コーヒーが入ったガラスのコップを突き出されて。それが飲み終わればまた「なに色?」と。
「ね、なに色?」
「色とかどうこうより水道代もったいないですからシャワーを止めなさい」
浴室から大声で呼ばれたかと思えば、すっぽんぽんでシャワーを浴びる様が目に入る。この生物の恥じらいの値は簡単に変動してしまうらしい。
「なに色? ね、色で答えて」
「夜なんですから外なんて真っ黒でしょう。近所迷惑ですから窓を閉めなさい」
「これは?」
「静かに閉めろと言うんです!」
「あのね、きみのがうるさい」
「なッ」
ガンッと窓を閉めた音だけ残してまた部屋を離れてゆく。
「ね、ね、これは? なに色?」
「ちょっ、洗い物中に飛びつくのはやめなさい!」
「あのね、これなに色?」
「垂れる垂れるッ、泡ついた水が垂れますからやめろ!」
まだすすいでもいない手を顔の高さまで持ち上げられて、腕を伝って水が袖の中に侵入してくる。この生物は理屈を好むくせにこちらの理屈は気にせず、かつ強引に話を進ませようとする。
妙にぴかぴかした目を向けてくるこれに、冷蔵庫に新しいアイスが冷えていると告げればさっさと離れていった。
こんなことがその生物が寝る間際まで続く。
「いったい何なんですか、一日中……」
「べつに、あのね、なに色って聞いてただけ」
「お前のなぜなに期は延々と終わりませんね」
「ふぅン? あのね、きみは透明を色って認識してないね。…ん、もしくはね、何色って聞かれたとき、無意識に正解から透明を省いてる」
「はあ」
何だそれは。
「透明って無色透明って言うじゃないですか。色がないんですから答えようもないでしょうに」
「そうなの? じゃあ、これ、なに色?」
そう言って指差したのはベッドに入る前に飲んだ、水が入っていたコップの縁。空気と物体のそのわずかな境界線にある、細い色を指差していた。
「何色って……影の色、ですかね。黒になる手前の色です」
「じゃあにんげんは色よりも凹凸を克服しないといけないね。ふぅン、おやすみ」
「は、…え、それだけですか?」
「それだけ。あのね、ぼくもうねむい。出てって」
「…………何なんですかお前は」
これの感情や言葉にも色がついていたならば、その発色はさぞや色彩にあふれていることだろう。
それはもう腹が立つほどに鮮やかなはずだ。
#透明
5/22/2024, 8:25:41 AM